がちゃり……と、随分と重々しくドアが開かれた。
スタッフ用の裏口に当たるそのドアを見て、ラビは首を傾げた。ここのスタッフ達はもっと颯爽と入ってくるというのに、うっすらと開いたドアから入り込む影は停滞中だ。
何事だろうと同じくドアを注視しているリナリーと目を合わせる。その間に軽い舌打ちの音が微かに響き、神田がずかずかとドアに近付いた。……珍しい光景だとつい見送ってしまう。
そうして押し広げられたドアの先、ぐったりと項垂れた真っ白な髪が現れた。………瞬間、椅子に座っていたラビは立ち上がり、トレーを置いていたリナリーは即座に足を踏み出した。
微かな慌ただしい気配の先、現れた少年…アレンは、真っ白なその髪に負けず劣らずの顔色で何とか立った状態のまま、ゆっくりと頭を下げた。
「………おそく、なり、ました…………………」
いっそそのまま倒れ込むのではないかと思える程弱々しい仕草だ。声も掠れていて、いつもの柔らかな響きが掻き消されてしまっている。
一体どうしたらこんな状態になるのだろうか。開け放たれたドアの先、確かに暑さも盛りな日差しと熱気はある。が、ここまでダメージを受けるものなのか。
どちらかというと環境の変化には順応し易いラビにとって、アレンのこの状態は異様なレベルだ。目を丸めて神田がこっそりと支えている肩を同じように掴んで引き上げた。………普段でも軽いし薄いと思える体躯が、また随分と心許なく感じた。
「いやちょっと待って?!え?!アレンどうしたんさ?!」
たった数日でどうやったらこんな事になるというのか。それとももっと前から変調があったのだろうか。グルグルと脳裏で最近の彼の様子をスライドさせて異変を探すが、それらは全ていつもの少年のもので、神田と意地を張り合って喧嘩をしていたり、リナリーやアルマとお菓子や紅茶の話をしていたり、たまに茶化して加わる自分を窘めたり、ほんの少しだけ甘えてみせたり凄んできたり、そんないつも通りの光景だ。
そうだというのに今目の前では、真っ青な顔で今にも倒れ込みそうなアレンがそこにいる。何があったのかと顔を顰めてもおかしくはない筈だ。
が、そんなラビの手を軽くあげた細い指先が否定を告げるようにそっと押して離すように示唆した。……多分、立てると言いたいのだろう。到底そうは思えないけれど。
当然ながら盛大に顔を顰めた神田が、これ見よがしに舌打ちを落とした。ラビもそれに倣いたいところだが、そうもいかない。
仕方なしに困ったように眉を垂らして笑みを浮かべ、軽く首を振る。こちらを見上げられもしないアレンにとってそれは返事にもなりはしないが、それを判別も出来ない状態で平気という方が悪いと決めてそのままグイと腕を引いて寄りかからせた。………やはり、肩も腕も若干細くなっていると脳裏に刻んである記録と照合して、そこから産出される全体像の、以前と現状の差異を計算した。
「いえ…途中で、少し、休みながら………」
あまり笑えないな、と胸中で算出を終えた頃、アレンが困ったような苦笑で遅くなった理由をぽつり、呟いた。
引き寄せたままたたらを踏むようにして歩む状態で、それでもそんな事を言う辺り、タチが悪い。普通、この状態ならば休みの連絡をする方が正常な判断だ。
「いいから、とにかく座るさ?」
ずきずきと痛む脳を押さえながら、それでも何とか平素通りの声を紡いでラビは先程まで自分が座っていた椅子を顎で示した。
「アレンくん、椅子、ほら、まずここに。それからこれ、ポカリだけど飲める?」
即座に椅子を引き寄せたリナリーが、ラビに支えられているアレンを誘導する。そして既にコップに並々と注いで待っていたらしいそれをアレンに手渡し……そのまま一緒にコップを支えながらゆっくりと嚥下させる。
こくり、こくり、と大分緩慢にアレンの喉が蠢き、何とかそれが飲めている事を教えた。が、それでも彼の顔色は相変わらず真っ青だ。
濡れタオルも用意しようとリナリーは中身が半分程になったコップから手を離す為、支えていた手のひらをきゅっと握り締めながらアレンの顔を覗き込んだ。
少し離れる事を教える仕草に、ふわり、俯いたままでもアレンは気遣うように微笑みを浮かべた。……青ざめたままの、優しい笑み。
「………は、ぃ」
小さな頷きはやはり掠れている。不安そうに眉を垂らしたリナリーに代わり、コップを受け取ったラビが軽い溜め息とともにもう一度アレンの口元にそれを寄せる。
「そういや、もうすっかり猛暑続きだったさねぇ」
はぁと溜め息を落とし呟けば、しゅんと眼下の白い頭が項垂れた。
それに自覚はあったようだと勘づいて、微かにラビの眉間にシワが寄った。それは一瞬で、すぐに霧散してしまい、おそらくは誰も気付かなかった筈だ。……が、奥にいる神田が溜め息を落としているのが垣間見えた。
その隣で冷蔵庫を開けていたリナリーが見なくても大体の応酬は気付いているのだろう、困ったように笑んでこうした時にどうにも不器用な男性陣をまとめるように柔らかな声を紡いだ。
「アレンくん、夏は苦手よね。無理しなくていいんだよ?」
元々アレンとの出会いからして、夏の暑さに動けなくなっていた彼を担ぎ込んだ事から始まったのだ。それを考えれば、確かに夏という季節が弱点となる事は考えられた。
つい自分達が平気な為、無理をしてでも笑顔で動き回るアレンの変調に気付かない事が多いけれど、今年もやってしまったと各々が自身の不甲斐なさに胸中で溜め息を落とした。
………まるでそれが聞こえたかのように、少しばかり必死になったアレンが頤を上げ、さらりと流れた前髪の合間から銀灰を覗かせて声を張り上げた。
「いえ…ちゃんと、働きま、す!」
が、残念ながらそれは割れて響き、痛々しい叫びだ。いつもならば勝ち気にも輝く眼差しが少し焦点が合わないようにとろりと力無い時点で無茶もいいところだ。
そうラビは溜め息を落とし、リナリーは苦笑して……響くであろう悪態の声を待った。
「ボケた事ぬかすなもやし」
そしてそれは確かに期待を裏切る事無く響いた。奥にいる神田の、不機嫌極まりない声が地を這うようにこちらに向けられている。
ぴくり、アレンの指先に力が籠る。が、それが拳に変わる事はなく、それでも前髪の奥、銀灰が睨み据えるような意志の強さでもって神田に向けられた。
「だれ、が……っ」
戦慄くような唇は噛み締められ、悔し気に唸るような声を落とした。アレン自身、解っているのだろう。今の自分の状態を客観視出来ない程、彼は馬鹿ではない。
案の定、自覚がある分負い目もあり、普段ならば決して逸らされない二人の睨み合いは、肩を震わせて頤を落としたアレンの仕草であっさり終結した。
それに鼻で笑うような呼気を落とし、神田は冷凍庫を開けながら苛立たしそうな声で吐き捨てるように告げる。
「まともに言い返せねぇ奴が働けるか。休んでろ、足手まとい」
「…………っ」
実際…神田の言い分はあっている。だからこそ返す言葉もないけれど、それでも足手纏いなどと言われて大人しくしていられる程しとやかな性格を、アレンは持ち合わせていない。ぎしり、アレンの左手の手袋が微かな音を教え、彼が拳を握り締めている事を近くに立つラビに教えた。
不器用な青年に苦笑を向け、黙々とこちらを見もしないで何か仕込みをしているらしいその背中に聞こえるように、少しだけ大きめの声で、凹んだ気持ちを悟らせまいと握り締めた拳ひとつで耐えているアレンに耳打ちをした。
「あ〜ユウは心配してんさ。悔しがらんで。な?」
具合が悪いというのに、このままでは意地を張って働くとでも言い出しかねない。……その程度には我の強い少年だ。
それくらいは十分理解している神田だけれど、どうしても彼は素直ではない。もっとも、彼は彼の、自分には自分のポジションがある事も確かで、少しばかりああして真っ直ぐに憤るように心配をぶつけられるのは羨ましくもあった。
現に、それくらいは理解しているだろうこの人の心の機微に聡い少年は、俯いて顔を顰めながら、それでも己の不甲斐なさにこそ憤っている。
「余計な、お世話で、すっ」
震えかけた声も、噛み締めるように己に向けられている。
いつまで経っても夏のこの季節をなかなかひとりで乗り越えられない自身の厄介さが、アレン自身遣る瀬無いのだ。今年こそはと思い挑む気候は、けれどゆっくりと呼気を奪い肉を削ぎ、緩慢に、けれど確実に身体を蝕み歩みを停滞させる。
そうして。………意識すら、それは喰らおうと顎(あぎと)を開き待ち構え、いざなうように歌を歌うのだ。
そちらに行く事無く必死に抵抗して何とか踏みとどまって、けれど最後の最後、甘美な歌声に耳を向けてしまい、こうして熱に喰らわれ足元も覚束なくなるのが通例だ。
もう大丈夫と、気付かせる事もなく季節が巡る事を望んでいる筈なのに、いつまで経ってもどうにも己の足は迷ってばかりだ。現実の迷子癖までこんなところに影響を及ぼさなくてもいいのにと、銀灰が揺らめきながら顰められた。
そんなアレンの頬に、ヒヤリ、冷たい感触が触れる。………目を瞬かせて眼差しを上向ければ、自分の頬から続く腕の影の先、にっこりと微笑むリナリーがいた。
どうやら濡れタオルを持ってきてくれたようだ。それにしても、何故こんなに冷たく冷えているのだろうか。回らない頭でそんな疑問を浮かべると、まるでそれを聞き取ったかのようなタイミングでフフ、とリナリーが笑んだ。
アレンの疑問はもっともだ。自分とて水で濡らす程度しか出来ないと思っていたが、それでもとひとつは冷蔵庫に入れておこうとして……目を瞬かせた。
そこにはすでに、しっかりと濡れタオルが鎮座して取り出される事を待っているのだ。こんな事を出来るとすれば、キッチンでずっと仕込みをしていた神田だろう。瞬きとともに神田を振り返れば、それは仕草で察したのだろう、思いきり顔を逸らされてしまった。
けれどそれが何よりも雄弁な解答だと、胸に湧く喜びを笑みとして唇に刻む事は悪くはない筈だ。そして、それを相手に伝える事とて、許される筈だ。
「でも冷たくて気持ちいいでしょ、タオル。さっき何しているのかと思ったけど…勘づいてたんだね、神田ってば」
「……………………」
リナリーの嗜めるような声に、途端神田の纏う空気が不機嫌さを増した。……おそらく、バレているとは思っていなかったんだろう。
存外彼の感情は筒抜けな事を、彼自身は自覚しない。思い、ラビはくすりと口角を笑みの形に変えて視線だけで神田を捕らえ、眼下のアレンにこっそり教えるように…あるいは神田をからかうように呟いた。
「そうそう。時計ばっか気にするからなんかなって思ったけど、あれってアレンが倒れてないか考えてたんじゃね?」
「神田、アレンくん初めて見つけた時の事、未だに引っ掛かってるんだよね」
苦笑するリナリーの声は柔らかく、それに青かったアレンの頬が少しだけ赤みを差したように見えた。
「忘れて下さい、あんな恥っ晒し……」
見掛けに反して意外にも男気のあるアレンにとって、あの出会った時の醜態は黒歴史でしかないらしい。
そんな事もないだろうにとリナリーと苦笑を交わし合い、ラビはぽんっとアレンの頭を撫でるように叩いた。
「いや、忘れ難いさ。流石に」
「そうね…いきなりアレンくん肩に担いだ神田が氷持ってこいって怒鳴った時は何事かと思ったわ、私も」
いいとか悪いとかの話ではなく、純粋に忘れられる筈のないインパクトだ。
普段は落ち着いた物腰の神田が足音も荒く教室に入ったかと思えば、その肩にはぐったりとした子供を抱えている。それだけでも十分何事かと思うが、その子供の髪は真っ白で、それに染まったかのように顔色まで真っ白で脂汗を滲ませていれば、驚きを通り越して即座に人命救助に意識がシフトするというものだ。
………考えてみれば、あの奇怪な出会いのおかげでアレンに興味を持ち、離れ難さを何とはなしに感じていた同級生達への情を自覚し、あまつさえこの地に執着するかのように居座る事を選んだのだから、人生何をきっかけに変動するか解らないものだ。
そうまだまだ若造でしかない身でラビはこっそりと胸中で嘯き、そろそろ別の意味でテーブルに突っ伏しそうなアレンの白い髪を梳いて首筋を晒させ、そこに冷えた濡れタオルをあてがった。
それは心地よかったのか抵抗は見られず、そのまま脱力して机に頬を寄せた。……やっと身体の力を抜いて休む気になってくれたらしい。そんな頑固なアレンは、深い溜め息とともに机に埋もれた唇でひっそりと音を紡いだ。
「………蒸し返さないで……」
…………やはりまだまだ受け入れ難い思い出話だろうか。もっとも、それに付随する全てが未だ彼の身を囲い、茨のようにやんわりと痛みを教えながらも彼自身を守っているのもまた、事実だ。
笑って昔の話と言えるまで、どれくらいの時間が掛かるのか、誰にも解らない。それでも、出来る事ならばそんな事もあったのだと懐かしむ、そんな過去の出来事に早くなればいいのにと願わずにはいられない。
ふぅと小さな吐息を苦笑に紛れさせて零し、ラビが何かアイスなどの冷たいものをとってこようと立ち上がりかけると、フロアに続く角からヒョコリ、見覚えのある頭が覗いていた。
こっそり覗いていたらしいアルマはラビと目が合い、一瞬慌てたように周囲を見回して引っ込もうかと蠢いた。が、すぐにそれを止めて、とっと軽い足取りでキッチンに入り込んできた。
それをみんな微笑みで迎えた。……この後輩は、カフェにいるみんなをとても大切に抱き締めて日々を生きている。こうして元気に動き回れるようになった日々の根源に、このカフェに訪れたいと願い向き合った全てがある。それを何とはなしに知っているからこそ、出来る事ならこの幼気な少年の望みは出来る限り叶えてやりたい。
だから、客ではあるけれど、時折こうしてスタッフしか入れないキッチンにまでやって来る事は容認されていた。ましてやこんな風にスタッフのひとりが動けないのであれば、声も掛けたいだろう事は想像に難くない。
「ねえアレン、大丈夫?」
しゅんとした眉の垂れ具合によく似通った寂しそうな声がアルマから漏れた。きっとスタッフ達が裏に入り込んで戻ってこない事に訝しんだのだろう。もしかしたらマリ辺りが他の客の様子を見てくれているかもしれない。
あとで礼を言わなくてはと脳裏でお人好しの大男を浮かべていると、眼下の白い頭が蠢いた。
響く筈のない声を聞いたといわんばかりに驚いてテーブルに伏せていたアレンは顔を横に向け、その視野に入り込んだ後輩の姿に目を丸めた。
「え、って……アル、マ?」
ここにいる筈のないその姿に、驚きの声はぼんやりと響いてしまう。
………今は夏だ。そして猛暑というべき暑さを今日は誇っていた。真夏日として、今日の気温は今年の最高気温を更新すると言っていた程だ。
そんな日に、アルマが外に出るなど言語道断だ。どれ程普段元気に明るく動き回りはしゃいでいても、少しの環境変化ですら彼の容態を悪化させる可能性が潜んでいる事を誰もが熟知している。
「こんな日に、外、危ないじゃないですか……!」
どうして誰も注意しなかったのだと言外に響くアレンの声に、ラビが苦笑する。勿論、アレンの驚きも不安も心配も、自分達とて味わった。が、その上で受け入れているのだという事で何らかの手が打たれている事を普段の彼であればすぐに勘づくというのに、やはり思考が上手く纏まらないのだろう、今のアレンは目に映る物以外を読み取る繊細さが欠落しているらしかった。
そんなアレンの見上げる眼差しの先、室内灯で眩いであろう視野を守るように手のひらで影を作ってラビは軽く落ち着かせるようにこめかみ付近をポンポンと叩き、窘めの音を落とした。
「今危なかったのはアルマよりアレンさ」
なぁ?と傍らにやって来てテーブルに伏せるアレンと同じように、しゃがんで顎をテーブルに乗せて視線を合わせているアルマの旋毛に笑いかけた。
すると軽くそれに頷き、アルマはふにゃりと笑い、不安そうに揺らめく銀灰をやわらかく目を細めて見つめた。
「平気だよ〜僕、今日は車で送ってもらったんだ。病院帰りだから!」
こんな暑い日でも、受診は必要だ。ましてやドクターが病院にいる日が前提なのだから尚更に自分の好きには動かせない。だからこそ、暑さや寒さが体調に影響を及ぼすであろう時は車移動が基本だ。
出来れば外をのんびり歩いて夏の日差しを全身に浴びてみたくもあるけれど、それで倒れては元も子もない。うずうずと意識は疼いて駆け出したくても、いつもちゃんと我慢をしているのだ。
その言葉にも態度にも出る事のない静かな自制の意識を瞳に溶かした後輩を見つめ、ほうとアレンは吐息を落とした。………幼く見えるこの子犬のような少年は、けれど存外しっかりしているし、実は勉学にもかなり精通していて学力レベルは高いのだ。
だからきっと自分が思うよりも多くの事を見つめ咀嚼し、そうしてその屈託のない笑顔の中に鎮めて未来を見つめている。
………そんなアルマだからこそ、苦しみや痛みをこれ以上味わう事無く、笑顔で一緒に過ごしたいと願うのだ。
そう教えるように緩く微笑み、アレンはあまり力の入らない右手をそっと差し出し、同じようにテーブルに転がる頬を愛おしむように撫でて静かな音を紡いだ。
「そっか…なら、いいんですが。気をつけて下さいね、本当に」
優しい手のひらの撫でるに任せ、アルマは嬉し気に瞼を落としてその声に頷き……次いで、きょろりと大きな瞳だけでアレンを見上げると、困ったようなお茶目な眼差しで彼を映した。
「アレーン、それ、僕もアレンに言いたいよ?」
「………面目ありません」
クスクスと柔らかく響くアルマの笑い声に返せる言葉もなく、耳を赤くしたアレンはのっそりと起き上がり、ゆっくりと深呼吸をする。
一度……二度、三度目程になると大分意識がクリアになってくる。もっとも、それはぼやけた視界が見え始めたという程度で、まだ元気に動き回るには到底辿り着けていないけれど。
そんなアレンに少しホッとしたようにアルマも起き上がり、顔を見合わせて微笑みあった。その長閑な、愛らしい光景に暫しラビとリナリーが魅入っていると、奥からずかずかと声高な足音が聞こえてきた。………神田だ。
「何たむろしてやがる。テメーらは働けっ」
「ちょ、ユウ、ひどいさ!?それめん棒?!」
ガンッとラビの間近に振り下ろされてテーブルを軋ませたのは、紛う事なくめん棒だ。神田であれば人を撲殺出来るだろう凶器に変わりかねないその凶悪な音に顔を引き攣らせたラビに、ふんと鼻を鳴らした神田は目も向けなかった。
「殴らなかっただけ有り難く思え。それともやし。テメーは動けねぇなら味見くらいしてろ」
唐突に低く恫喝じみた声で告げられ、そしてどんと荒々しい所作でテーブルに乗せられたトレーを見て………アレンは睨み上げていた眼差しを瞬かせた。
「これ……宇治?」
そこにあるのは表面に僅かな水滴を讃えた涼やかな硝子の器。その上を彩る真っ白な粉雪のようなさらさらの氷。園まっさらな白の上、鮮やかな緑が降り掛かり、その上から更に白がコーティングしている。
見た目も美しく楚々としたたたずまいを見せるそれは、アレンが漏らした言葉の通り、宇治抹茶のかき氷だ。練乳も降り注がれていて柔らかな色合いに仕上がっている。
それを眺めていたアルマがすぐに取って返してしまった神田の背中を見上げて、ぷ、と小さく吹き出してしまう。そんなアルマに同意するように、くすりと困ったように笑んだリナリーが軽く首を傾げてアルマと、呆然としているアレンとに声を注いだ。
「素直に食べて休んでよくなってって言えばいいじゃない、ね?」
そんなリナリーの当たり前の言葉に、ククッと喉奥でラビは笑い、ニヤリとからかうような笑みを唇に乗せるとまた仕込みを始めたらしい……否、ごりごりと氷をかく音がする事から、おそらくは宇治のかき氷を見たアルマが目を輝かせた事に気付き、彼の分も用意しているのだろう、その背中に聞こえるように答えた。
「それ出来たらユウじゃないさ♪」
「……………」
途端、ぎらりと奥から殺気が駄々漏れになり、キョトンと振り返ったアルマの視線の先、まるで剣道の試合の真っ最中のような眼光の鋭さで、先程同様にめん棒を握り締めている神田がいた。

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