ガチャ、バタン、タタタ………とても解り易く予測し易い音を立てて先程まで買い物に出ていた時任が帰ってきた。
ガサ、と小さな音もするから、目的のものは買えたのかな。そんな事を思いながらその顔が覗くだろう方向に顔を向ける。
「久保ちゃん!これ!」
すると寸分違う事無く覗いたのは、満面の笑み。おや、随分ご機嫌だね。………これっていうのは……チラシ、かな?
時任が胸を張って仁王立ちのまま、のんびりソファーに座る俺の目の前に突きつけたそれを、煙草の煙を追うように眺めた。
「ん?………雪花氷(しぇーほぉあぴん)?」
涼しそうな器の上に盛られたふわふわの真っ白なかき氷。それがまるで羽や花びらのように空から舞い落ちて器に盛られていっているかのような写真を載せ た、それは台湾発のかき氷のチラシだ。……と思ったら、かき氷屋のチラシじゃなくて、物産展のチラシか。
どっちが目当てだったのかな、と見上げた先、キョトンと時任が目を丸めていた。
「へ?ゆきはなこおり、じゃねぇの?」
ああ、読み方か。そりゃそうだね。漢字としては読まない発音だ。時任にはなおの事縁遠いか。
「台湾のかき氷の事っしょ?台湾物産展か…食べたいの?」
ちょんとチラシの写真を指差しながら問い掛ければ、また目を瞬かせた。あれ?あんなに意気込んで見せたから、てっきりこれから行くぞって言いだすと思っ たんだけど?
小さな沈黙がお互い予期せず落ちて、煙草をふかしたまま、時任を見上げる。
「へ?…………あ、うん!そうそう、俺様食いたい!」
そうしたら思い当たったかのように時任は慌てて大きく首を振った。
何か…変な仕草だな、とは思ったけど、別にそれで困る事もないし、時任自身不本意って訳じゃないのは解るから、踏み込まない。………駄目だね、未だに俺 は時任がどこまで俺に許しているのか計れない。
「じゃあ行こうか」
臆病な自分はなかなか治らないものだと思いながら立ち上がり、時任に手を差し出す。
初めからね、これを手にとらない奴なら、きっと痛いのも辛いのもなかった。それなら、俺は安寧の闇の中でただ生きる為だけに生きてた。
でも。
「おう!」
明るく響く、自分以外の声。胸に沁みるその音が甘く疼かせる熱と心。………やっとさ、解った気がするんだ。昔、それは痛いや辛いだけじゃないと言ってい た、俺とはまた違う痛みを背負っても健気に生きていた声。
手にしていなければ何も知らない。でも、知ってしまったなら手放せない。貪欲な俺ならなおの事、それだけを求めてどんな事だってするだろうね。
それが幸せってものかと問われれば、傍らの笑顔にとっては歪な形なのかもしれない。
それでもこうして差し出して手を掴んで輝くように笑う傍らの光に、同じように染みるようにこの唇も笑みを作る。
………少しくらい滑稽だって、いいでショ?
やっと、笑うっていう意味を解った気がするんだからさ。
電車に乗って少しいった先にあるデパートの中、思った通りの人混みに時任の顔が引き攣った。
「…………なんでこんなに人がいんだよ」
「物産展ってこんなもんよ?」
やっぱり考えなかったんだろうなぁと思いつつ、呑気に答えた。実際行った事はないだろうけど、TVで見ている筈なんだけどねぇ。
「しかもかき氷屋も並んでるし」
「暑いからねぇ。しかもこれ、物産展でしか食べれないっぽいし」
「………だりぃ……」
「時任は人混み嫌いだねぇ」
「別に嫌いじゃねぇよ。好き勝手動けねぇのが嫌いなだけだ」
「納得。………あ、順番来たよ」
前の客が注文が終わり、横にずれる。それを見ながら指差せば、ガッツポーズをとって時任が一歩進み出た。
微笑ましい、っていうのはこんな感じなのかな、とか考えていたらくるんと眺めていた旋毛が回転して、楽し気に目を輝かせた時任の顔が映った。
「よっしゃ!久保ちゃん、どれ食う?」
ウキウキとしているのが目に見えて解る、そんな笑顔。眩しいなぁと眼鏡の奥、瞳を細めてその輝きに焼かれないように眼差しを細めた。
「ん?俺は別に……あー、じゃあ、苺練乳小豆白玉のやつを」
かき氷…別に食べなくてもいいんだけどね。でも時任が聞いてくるって事は食べてみろって事だし。何種類か試したいのかな。
それなら時任が選ばなそうなヤツにしておかないと、全部食べてお腹痛いとかなったら困るかな。時任、薬駄目なのに盛大に怪我もするし、髪も乾かさないで 風邪引きかけるとか、意外と多いからね。
「俺このトリプルマンゴー!」
既に自分の注文は決めていたらしい時任は即座に注文を済ませ、さっさと受け取り口に向かう。それを追う前に代金を支払って、足を向ければ、意外にもすぐ にかき氷は手に入った。
写真のような硝子の器ではない、プラスチック製ではあるけれど、乗せられたかき氷は同じだ。ただ、俺のは薄ピンクで、時任のは黄色という点だけが違う。 ごろごろ乗っているトッピングもか。
人が多いと食べづらいかと、大体当たりをつけて死角になりそうな隅に足を向ける。そんな事には頓着していないらしい時任は歩きながら既にしゃくしゃく食 べ始めた。マンゴーが落ちそうだなぁと思って眺めていたら、がぶりと噛み付いていた。相変わらず豪快ね、お前。
それでも危なっかしい事に代わりはなく、辿り着いた非常階段に腰を下ろして二人並んで雪花氷を口にした。
「ん、新食感だねぇ」
ぱくりと口に含めばとろりと溶ける。かき氷というよりは冷たい綿菓子みたいだ。
「変な感じだな、これ。かき氷って気がしねぇ」
眉を顰めてスプーンで雪花氷をいじりながら不可解そうに時任が呟く。
「氷を削ってるわけじゃなかったからね、これ」
ぱくり、今度は苺と餡を一緒に乗せて食べた。それを追うように時任が雪花氷から俺に視線を映した。
「へ?!嘘?!じゃあ何だよ!」
「ん〜ジュース?って言えばいいのかな?もう味のついたヤツを凍らせて、それを薄〜く削ってるわけよ。だからかき氷と食感も違うの」
「ふーん……そっか。でも美味いな」
解ったような解らないような、そんな答え方をしているけれど、意外と時任は頭がいい。きっと俺が言った言葉くらいはちゃんと理解して蓄積していっている だろう。
いつか、俺の言葉なんてなくてもちゃんと答えを見つけて理解出来る、そんな日が来るのもそう遠くはないのだろう。そうしたら、どうやって手元に残せる か、なんて。………こんな甘いものを口にしながら、なんて舌先はニガイ。
「そうね」
その苦味を打ち消すようにまた雪花氷を口に運ぶ。それをじっと時任が見上げていた。
「………久保ちゃん、これ、食べた事あった?」
「ん?………そうね」
問う声が探るように幼くて、少し不安そうに揺れた時任の目。………そうか。だから行こうと誘った時に戸惑ったのか。
思い、くすり、唇が微笑んだ。こんな身勝手な事を考えて甘い雪花氷さえ苦く彩る俺に、どうしようもないほど……なんて愛らしい慈しみ。
………そんなもの、俺が貰える筈もないっていうのにね。いつだって当たり前に、お前は与えてくれる。記憶も何も持たないお前が出来る全てを、俺はお前に 教わりながら辿々しくお前に返してるって、知ってるのかな?
思い、さらり、時任の髪をすくいあげて、見えづらかったその瞳を覗き込んだ。
「時任と食べたのは、初めてかな?」
じっと見つめる眼差しに、苺味に甘くなった舌で囁く。……が、むっと顔を顰めた時任は唇を尖らせるようにして不満げに返した。
「………答えになってねぇけど」
あ。やっぱり?でもね、正直覚えてないのよ。多分、初めてじゃない、けど。味どころか食べた記憶すら忘れちゃったような事実、今言ってどんな意味がある のか、俺には解らないかな。
そんな事よりもたった今、隣にお前がいて、お前が新しいもの好きな俺の為に見つけて選んで喜ばそうとしてくれた。
お前がいるっていうその奇跡に彩られた雪花氷こそが、俺にとっての初めて。
「じゃあ初めて?」
そう教えるように微笑んで、こてんと傾げた首で告げてみれば、からかわれたと思ったらしく、みるみる間に時任の顔が真っ赤に染まった。
「〜〜〜〜〜っっだぁ!なんだそれ?!」
綺麗に色付いて美味しそう。苺味の雪花氷もいいけど、苺みたいなお前も美味しそう。
「はいはい、ありがとね、時任」
くしゃり、あいた手のひらで時任の髪を弄び、そっと梳いて額を晒させる。形のいい額の下、少し困ったみたいに眉が顰めて吊り上がっている。……垂れ落ち ない辺り、時任だよね。
「………ったく、あー、マンゴーうめーなー」
「ね、一口交換」
小さく囁き、顔を寄せる。
「ん」
苺味にも興味があったのか、不貞腐れていたわりには素直に応じた時任が顔を上げた瞬間、そっと重なった舌先。
目を丸めた時任が驚いたように凍り付いたから、予想していなかったらしいと気付いた。けど、これ幸いとそのまま舌先を押込んで、彼が怒って暴れ出すま で、甘い口腔内のマンゴーを追いかけた。
………甘く甘くマンゴー味になった舌先が、真っ赤に熟れた苺の頬と相俟って、美味しそう、なんて。
こっそりその耳に囁いたなら殴られたのは、照れ隠し、かな?

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