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微かに眉を顰め、一歩近付いた。
自身にかかる影の濃度でそれを感じたのか、吉田が一瞬だけこちらを見上げた。あどけないと言うに相応しい、無防備さだ。
小さく笑いかけてみれば、パッと明るい笑顔が咲いた。そこに本当に花が咲いたように感じるのだから、不可解な話だ。
そして、そんな不可解な花を愛らしいと見つめる事も、不可解かもしれない。……思い、ふと考える。
もしもこの花が咲く事を知らなかったら。
………吉田と出会わなかったら。自分はどんな今を過ごしていたのだろうか。
きっと、デブでいじめられていた頃に、全てを諦めただろう。
時間の流れすら気に止めず、笑う事に楽しみなど見出ださず、人に関わる事に怯えて。
ただ終焉が早く来る事ばかり祈って、日々を過ごすに違いない。
養成学校を出たあとも日本になど興味は持たず、たとえ帰ってきてもただ日々が過ぎるだけ。
いま、こうして二人帰るだけの通学路に吹く風の柔らかさも、二人に注ぐ日差しのあたたかさも、木陰を捧げる街路樹の香りも、隣を歩く足音の喜びも、何一つ知らずに生きていた事だろう。
………きっと、あの小学生の頃に出会わなかったなら、そんな日々を送ったのだ。
人が怖くてそつなく笑顔で躱す事だけを覚えて、踏み込む事も踏み込ませる事も出来ず、ただ孤独である事だけが慰めの日々。
それを想像して寂しいと、思えるのはきっと、傍らにぬくもりがある事を知ってしまったからだ。
あまりにも当たり前に差し出された小さかった手のひらが、驚くほどにあたたかくて、その衝撃の意味もまだ知らなかった。
気付いたのが再会してからだったなんて、自分の鈍感さに呆れてしまうくらい、ずっと自分はこの小さく清らかな天使に跪(ひざまず)いていた。
会いたくて焦がれていて、ようやく見つけたその時からやっと、呼吸の仕方を思い出した。……生きる事の優しさを、知った。
あどけない顔が見上げる。陽光の眩さに細められる瞳。その下の、不格好な愛しい傷跡。
「?佐藤?どーかしたか?変な顔してるぞ」
鈍い吉田が気付く筈もない視線。笑いたいような泣きたいような、大声で叫びたくなるような、喜びと切なさが解け合った衝動。喉奥で詰まるように押し止めている、数多の言葉を囁きかけたい。
それを舌に転がして、見下ろす天使に口吻けるようにそっと屈んで、その耳に囁きかける。
「………いや、吉田は小さくて可愛いな、と思って」
途端、耳を庇うように覆って肩を跳ねさせる眼下の肢体。生きている鮮やかさ。触れる事を許される程傍にいる事を教えるように、跳ねた黒髪が頬をくすぐる。
真っ赤になる肌が愛しい。自分を見てくれた優しい天使。
「小さいいうなっ!お前がでかすぎるんだよ!!」
喚く声に微笑んで、つい零れるからかいの言葉を落としても、彼は逃げもしないで傍らにいてくれる。
それに、安堵する。小さな寂しさと、微かな不安が蔓延るこの先を、隣にいる時だけは考えないでいられた。
真っ直ぐに見上げる眼差し。どんな不純物も介入出来ない至純さ。
耳に響く心地い音色。天使の、歌声。
………いつか。
天使が飛び立ち、傍らから消え、明るい日差しの中に帰るとしても。
その羽の美しさを愛でて、見送れるといい。
君に自由を返せる日を祈りながら、今日も僕は君を腕に抱く。