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「やっと終わったさぁ〜……」
「ご苦労様でした」
疲れきった声でぼやく青年に、本に囲まれたまま動けない少年は労(ねぎら)うように声をかけた。
それに首を巡らせて見つけた白い影に、まとめた書類を封筒に押し込みながら、青年は瞳を細めて笑った。
「アレンもサンキュー。途中で紅茶、足してくれたさ?」
お陰で喉の乾きを耐えずに最後まで一気に終わらせる事が出来た。その甲斐あって、まだ外は明るく十分遊び回れそうだった。
「え、気付いていたんですか?!」
声をかける事も躊躇うくらい集中して見えていたのだ。だからこそ、少年はそっと空になったカップに紅茶を足しただけで、机に影すら落とさなかった。
それなのにと驚けば、クスリと青年が笑った。
「意識はしてないけど認識はした、かな」
「………意味が解らないです」
何を言い出すのだろうかと言いたげに胡乱な眼差しで、少年は青年を見遣った。
……いまいち伝わらなかったらしいその様子に、青年は傾げた首によく似た寄せた眉で説明を試みた。
「ん〜…今みたいにさ、ヤッホー!って感じにはならんけど、そこにいるなってのは解ってる感じ?」
……………が、残念な事にそれはあまり説明らしくなく、少年は目をキョトンとさせるばかりで理知の輝きは覗けない。それが解り、なんと説明しようかと首を傾げた青年に、少年は真似るように首を傾げてみせた。
「う〜ん?解ったような解らないような、まあいいです」
「あっさり流すさね……」
説明すらよく解らなかったとありありと書かれた顔をそのままに、頷いて話を終わらせる少年に青年は軽く息を吐いた。
そんな事よりも大切な事があると言いたげに、少年はにこやかな笑顔で目の前のお菓子達を示した。
「それよりほら、お菓子もありますよ!」
「……まあいいけど。てか随分あるな」
少年の食欲に勝るものはなかなかない。それをよく知る青年は苦笑で受け流してお菓子の山を見た。
お菓子が盛られた皿はなかなかの大皿だった。滅多に使わない、むしろ飾り皿に近いものだったが、こんな活用をされるとは想像もしなかった。
「ジェリーさんが用意してくれました♪」
焼き菓子ばかりではあるが茶請けとしての相性はいい。
マドレーヌにクッキー、マフィンにサブレ、ラスクもあるしワッフルまである。種類も量もなかなかだ。
頭を使う仕事なだけに、糖分とカロリー補給は有り難いと、青年はカップに紅茶を注いでくれている少年を眺めた。
そうしてふと、皿の違和感に気付いて、思わず胸中で溜め息を吐いてしまった。
「で、ジジイもちゃっかり食べ終わった、と」
……嬉しそうに少年が示してくれた皿の上、しっかり老人の近くに分けられた分がなくなっている。
少年の分はもとより自分達より多いだろう。残っているお菓子はきっと、少年と青年の二人分だ。
お茶だけでなくお菓子まで相伴に預かり、自分が仕事をしている間、少年と談笑していたのだろう老人を、不満げに青年は見遣った。
「なんじゃい、年寄りを邪魔者扱いしおって」
「めっちゃ邪魔さ」
べっと舌まで出して言う青年に、呆れたような眼差しを眇て、老人は隣の少年に顔を向けた。
青年にカップを渡していた少年はきょとんとその眼差しを見返してしまう。
「小僧、ラビに仕事を増やしても構わんか」
そうして告げられた突然の言葉に、けれど少年は戸惑いもしないでニッコリと笑って答えた。
「出来れば後日だと嬉しいです」
「そこは庇って、アレン!!」
「年配者は敬うものです」
「だな」
「………解ったから、俺が悪かったから。だからタッグ組んで苛めんで」
「根性がないのう」
「ラビですからね」
「二人相手に無駄な抵抗してどうするんさ」
無駄なまでに息があっている二人に、拗ねたように唇を尖らせた青年がぼやいた。………当然のように二人には黙殺されたけれど。
仕方なしに青年は溜め息ひとつでそれを流し、気持ちを切り替えるように改めてアレンを見遣った。
「それよりアレン、このあとどこ行く?」
「え?ラビ、行きたい場所決めてないんですか?」
軽い問いかけに驚いたような少年に、逆に青年が目を丸めた。
そんなに自分が行き先を問う事はおかしいだろうか。………確かに、今まで一度も少年に聞いた事はないけれど。
「いんや、たまにはアレンの行きたい場所に連れていこうかと。ないん?」
いつも楽しませようと連れ回すけれど、考えてみれば少年が行きたい場所に行った記憶がなかった。
ただ嬉しそうについてくるので失念していたと、少年自身の望みを問いかけてみたのだが、何故かそれには戸惑う気配が濃厚になってしまう。
「ないというか、あまり知らないんです、場所………」
「じゃあ、ジャンルでもいいけど」
好みが解ればそこからまた近付ける。そんなささやかな下心は隠して尋ねてみれば、困惑したように少年は首を傾げていた。
行きたい場所。………楽しい場所も面白い場所も、いつも青年が与えてくれていて、少年には彼を満足させられるような空間が思い付かない。
でもどこかある筈と、期待を込めて自分を見つめる若草色を見上げた。
「あ、じゃあみたらしが食べたいです!」
目を瞬かせた少年は、少し悩む素振りを見せたあと、ぱっと顔を輝かせて名案が浮かんだように声を弾ませた。
けれど、それに師弟は揃って目を瞬かせてしまう。
「………アレン、食堂行きたいん?」
「まず街を出歩く事を覚えんといかんな、おぬしは」
重なった師弟の言葉に、今度は少年が目を瞬かせた。
………好きな場所なら、好きなものがある場所、だろう。
だから好きなものを思い浮かべたが、それとは違うと二人は言っている。
「え、何かまずかったですか?」
困惑に染まった声に、青年は安心させるように真っ白な髪をかき混ぜるようにして撫でた。
「アレンらしいけどな」
小さな弟に教えるような仕草を横目で見ながら、老人は困ったように見上げる少年に静かに告げる。
「まずはこの馬鹿に付き合ってくるといい。そこからだな」
………優しい二人の言葉。けれど少年には何を言われているのか、いまいち解りはしなかった。
それでも二人が自分を慮ってくれている事は、伝わる。
少年はそれを受けとり、微笑んで頷いた。
「………?はい、そうしますね。お願いします、ラビ」
理解していないらしい様子に師弟は視線を交わし、仕方無さそうな苦笑を浮かべて互いに頷いた。
きっと今まで生きる事とエクソシストとしての技術を学ぶ事にばかり時間を費やしてきたのだろう、少年。
少しの黒さも隠しきれない不器用さは、不要であれば手を染める事もなかった善性故か。
それが凶となるか吉となるか、未だ解らない予言の子に、せめてその日が来るまでひとつでも多く笑顔と喜びが降り注げばいい。
傍観者でありながら願ってしまった共有の祈りに、師弟はまたひとつ苦笑と溜め息を重ねた。