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気の向くまま、思うがままの行動記録ですよ。
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    お弁当屋おじさんのお話。

    こっちは兎、牛、月になります。




    来客:バーナビー・ブルックスJr.


     店に近付くと、すぐに気付いたらしく、虎徹さんが手を上げた。それに会釈で返して、少しだけ足を速める。
     「いらっしゃい、バニーちゃん♪」
     「バニーじゃなくてバーナビーです。……日替わりをお願いします」
     いつも通りの言葉を交わし合って、眼鏡の位置を直しながら、代わり映えのないメニューを頼んだ。
     いつも同じものを頼むけれど、これが一番いいんだっていう事を、知っている。何せこの人はお人好しで、相手の顔色とか調子を見て、不足してそうだなとか考えてしまうと、ついおまけと称して色々サービスしてしまうのだ。
     それなら初めから内容を自分で決めてしまえる日替わりにすれば、彼がこちらを見て、あと話をしながら何となく勘づいて、こちらが欲しいものを入れてくれる。それに任した方が無難だ。
     ………別に、日替わりにするといつも色々話をしてくれるからとか、そんな理由じゃない。決して。
     「はいよー。飯はおにぎりにするか?」
     いつもの事、みたいに楽しそうな声で返してくれる。僕の素っ気なさなんてきっとこの人は気にしちゃいないんだ。
     ヒーローデビュー前に出会ったせいか、顔バレヒーローをしていても虎徹さんは何も言わない。ただ、たまにお弁当の中が豪勢になる時がある。
     大体、それはヒーローTVが放送された日で、多分彼なりのメッセージ。ご苦労様とか、頑張れとか、……凹むなとか、無理するなよとか。あと、たまに頭冷やせって感じのも、ある。
     ただの弁当屋の主人なのに、どうもこの人はヒーローよりもよっぽどヒーローらしい。なんというか……うん、心構えとかそう言う、精神的な部分が。
     といっても、大雑把で適当でどんぶり勘定なのも確かなので、絶対に彼には言わない。調子に乗るに決まっているし。
     「お願いします」
     そんな事を考えつつもシレッと彼の提案に頷いた。
     おにぎりはここで…というのは語弊があるけど、虎徹さんの作ったもので初めて口にしたのが、それだった。だからそれからずっと、彼はおにぎりにしてくれる。本当はしゃもじで敷き詰めるだけの方が楽な筈なのに、いつも。
     鼻歌を歌いながらぎゅっぎゅっとおにぎりを作っている背中を見て、不意に何故か、呟いていた。
     「……あの、ここではビーフストロガノフなんかは、作らないですか?」
     な、何を言っているんだろう、僕は!ここは和食のお弁当を作っている店で、洋食なんてないのに!
     「へ?」
     案の定虎徹さんは目を瞬かせて振り返った。ああなんか子供みたいな顔で不思議そうだ。当たり前だ、自分だってなんでそんな事を言ったのか解らないんだから。
     解らないけど、もしかしたらという一抹の望みで、何でもないと否定出来なかった。
     おかげで落ちた沈黙は、ひどく気まずい。虎徹さんが困ったような顔をしているから、余計に。
     「……………」
     どうしよう。今更なんでもないと言ってもいいのだろうか。明らかに返事を待つ間を開けてしまった。このまま待っていても、もっと困らせるだけなんじゃないだろうか。
     グルグルとまとまらない思考が脳裏を駆け巡る。もしかしたら目も回っていたかもしれない。
     そんな混乱の時間はすぐに終わり、虎徹さんは頬を掻いてコテンと首を傾げた。
     「バニーちゃん?ここ、和食だぞ?洋食はおじさん、あんま自信ないけど?」
     「そう…ですよね」
     苦笑と一緒に言われた言葉に、ついがっかりしてしまう。もしかしたら、なんて、甘い望みだった。当然だ。僕はここにお弁当を買いにくる客のひとりでしかなくて、我が侭に料理を注文出来る身分じゃない。
     でも、なんだか彼の背中を見ていたら、あの時みたいに、また何も言わないでご飯を食べている時間を一緒に過ごしたくなったんだ。………まるで子供だ。
     少し俯いてそんな自分に自己嫌悪していると、握りおえたおにぎりを詰めながら、虎徹さんは目を瞬かせて下唇を突き出して首を捻る。
     なんか、これは見透かして……いる?解らないな、この人は行動が突拍子もないから、全然読めないんだ。
     「ん〜?ん、そうだな、あれは煮込むし……せめて前日に予約入れてくれれば、作ってもいいぞ。容器持って来てくれるなら、そっちに移すし」
     暫く悩むみたいに僕の顔を眺めていた虎徹さんは、ふむっと顎に手をやり、きっとレシピでも思い出しているのだろう顔で少し上空を眺めて頷きながら、言った。
     「なら明日で」
     「早いなオイ?!」
     思わず目の前に転がったチャンスを全力でもぎ取ったら、驚きの笑い声と一緒に虎徹さんは即座に突っ込んで来た。
     ……いいじゃないですか。ちゃんと条件、クリアしましたよ!


     翌日。最早夜だ。時間を見てみれば20時を回っている。つまり、『ワイルドタイガー』は閉店の時間を過ぎた。
     「……………………」
     深い溜め息を吐き出して、手の中の携帯をじっと見つめた。埒が明かないともう一度溜め息を落とすと、トランスポーターの中で億劫な指先を手繰り、電話をかける。
     『はい、和食弁当『ワイルドタイガー』でっす!』
     すぐに聞こえた明るい声。それに少しだけ救われた気持ちになって、けれどやはり暗澹とした気持ちにもなって、低い声が落ちた。
     「……バーナビーです」
     『お、バニーちゃん。大変だったな、怪我ねぇか?』
     「え?」
     どうして、それを?そう問うような僕の声に、虎徹さんは苦笑したみたいだ。
     『ヒーローTV。見てたぞ』
     ………そうだ、放送されていたんだから、見ていて不思議はない。彼は、ヒーローが大好きだから。
     そこにも頭が回らないなんて、馬鹿みたいだ。
     「そう…ですか……あの、それで、今、終わりました」
     『そっか。おつかれさま。俺は今明日の仕込み中だわ。どうする?』
     「え?」
     『疲れてんなら別の日にするか?どっちでもいいぞ?』
     「いいん…ですか?」
     だって、疲れているのは僕よりも虎徹さんの筈だ。
     ひとりでお店を切り盛りして、今日だって昨日だって、きっと明日だって。沢山の仕込みをして、営業中だって色んな客と沢山話をして、その人にあわせてちょっとサプライズをプラスして、くたくたの、筈なのに。
     それでも、彼のご飯が食べられる。そんな誘惑に勝てる筈もなくて、我が侭な子供みたいに遠慮もなしに、ねだってしまった。
     『おう』
     「なら…行きます。あの、遅いですし……前みたいに、そちらで食べてもいいですか?」
     ひとつ、小さな我が侭を付け足した。きっと、彼は叶えてくれる。
     『おう、構わねぇぞ』
     軽い笑い声と頷く仕草が見えるような返事。嬉しくて……もうひとつ、我が侭。
     「出来たら……おにぎりも」
     食べたいと消え入るように呟いた。
     『じゃあ準備しとくわ。気をつけてこいよ〜』
     それにも軽やかな、まるで挨拶するみたいな当たり前の調子で虎徹さんは答えてくれる。
     どれくらい、そんなやりとり飢えていただろう。ずっと独りで、独りで頑張る事に慣れてしまって、甘える事や我が侭を言う事を忘れてしまった。
     それなのに、あのお弁当屋に行けば、何故か口をついて出る我が侭。叶えてくれるとどこかで傲慢に思っている、そんな幼子みたいな甘え。
     「はい」
     でも本当にいつだって、なんでかなんて解らないけれど、彼は叶えてくれるのだ。
     彼が作る和食の弁当。美味しくてみんなが喜んで食べる事を知っている。………それは本当に何の変哲もない弁当だ。
     けれど、気を置かずに、素のままで、気兼ねせずに、ありのままでいて、話が出来る。
     どれ程得難いものか、僕は知っている。そしてそれが、あのお弁当屋さんの魅力だ。


     ………それは身体が食事を求めるように、心が欲しがる栄養なのだ。


    来客:アントニオ・ロペス


     店を覗いてみれば、男が一人何やらせっせと生地を捏ねていた。明らかにそれは弁当じゃない。またなんかおまけ用に菓子でも焼いてやがるな、あいつは。なんか甘ったるい匂いもするし、間違いない。
     採算に合わないだろと言った事もあるが、今更だ。こいつの頑固さと真っ直ぐさは今も昔も変わりゃしない。
     「よぉ、随分暇そうだな」
     「失礼な奴だな。おやつ時に来といて」
     ニヤリと揶揄を告げれば不貞腐れたような顔が覗けた。声掛ける前から気付いてたな、こいつ。……あ、鏡でここ見えるようにしてやがる。不真面目なようで真面目なのも相変わらずだ。
     「で?弁当か?」
     ざっと手を洗って生地に布巾をかけて、たいして慌てるでもなくやって来た悪友は、カウンターに肘を乗せた接客態度だ。まるで客扱いしやがらねぇな。
     「何か適当に頼む」
     今更かと敢えて何も言わずに注文…らしきものを頼んだ。考えてみると、こいつにまともな注文、した事ないな。
     「最近食ってるもんは何だ?また肉一辺倒か?」
     「手軽だからな、つい……」
     客を客扱いしないのは、客も客らしくないからか。そんな事を思いながら鍋やらバットやらを眺めた虎徹が聞いてきた。……耳が痛いな、実際。
     そう思って情けなく奴を見てみれば、相手も仕方がないと思ったのか、肩を竦めて片眉を上げた。……あ、説教したそうな顔、したな。
     「ったく…じゃあ筑前煮とがんもどきとー……飯は五目ご飯にしとくか?」
     でも最近の俺の忙しさも考えてか、溜め息と窘めの視線で終わらせてくれた。有り難いな、長年の親友は口がなくても解ってくれる。
     「おう、それで。あと味噌汁もな」
     「解ってるよ。今日はワカメと豆腐とネギだぞ」
     「………しっかし、すっかり板についたな、お前の弁当屋も」
     さらさらと話ながらも奴の手はこちらでは解らない色々な作業をしている。
     それに、こいつの飯のお陰で助かっているのも事実だ。つい肉を食いがちな俺でも、ここの弁当を忘れないで過ごしてきたら、中年太りはやってこなかった。
     まあこいつ自身、有り得ない細身だから、女達はその辺りにあやかってもいるらしい。当人は細いの気にしてんだがな。
     そんな俺の声に虎徹は笑った。……どこか誇らしそうだ。
     「十年やりゃあ板にもつくさ。お前も牛が似合うようになったじゃねーか」
     少しだけ潜めた声が、あっさり人のトップシークレットを告げる。まあ、隠喩ではあるが。
     仕方なしに肩を竦め、俺は揶揄を覚悟して自らの現状を口にした。
     「……ランキング最下位争いだがな」
     それはもう、相も変わらず下位争いだ。なかなか俺の能力では華々しい活躍というものとは縁遠い。どうしようもないとはいえ、溜め息も出る。
     そんな俺に、五目ご飯を詰めながら虎徹が呟く。
     「いいんだよ、それで」
     からかう…わけじゃないらしい。声が思いの外真剣だ。
     意外そうに悪友を見遣れば、奴は手元に目を落としたまま、ただ笑っていた。
     「お前は攻撃より身を張って守る方が得意なんだ。目立つより地道にしとけ」
     「……そうか?」
     昔から、こいつは人が凹んだのによく気付く。多分、今もバレたんだろうな。
     どうせ今更繕う面子もありゃしないと、ちょっとばかり弱った声で問いかけた。
     返されたのは…真っ正面からの、力強い笑み。ああ、ガキ臭い笑い方だ。提示したそれ以外の正解なんざ蹴倒すような、我が儘で純粋な笑い方。
     そうして、虎徹ははっきりと頷くと、弁当の最後の仕上げをしながら答える。
     「そうだ!……よし、出来上がり。ついでにこれも食っとけ」
     「なん…ムグッ?!」
     口を開けたところを、ガツンと殴る勢いで塞がれた。その手の中にあったものが口に転がり込む。……甘い…こりゃ、クッキーか?
     「試しに作ったおまけ用のクッキー。まだあるけど、職場の奴らに持ってくか?」
     「……む、美味いな。頼む」
     正解だったらしいそいつを噛み締めれば、ほろほろ崩れる癖にしっとり口に甘さを残す。これならチビ達を筆頭に、普段は気難しい氷の女王も喜びそうだ。
     「おう。礼は新しいエプロンで手を打つぞ?」
     「テメ、フリルヒラヒラ作るぞ!」
     「ははっ、やってみやがれ。代わりにお前の弁当、ワサビからしハバネロで彩ってやる!」
     そんな軽口を叩きあって、別れる。……今日も長閑で平和だ。

     しかし、どんなエプロンにすっかな。クッキー配るついでに、トレーニングルームで聞いてみるか。


    来客:ユーリ・ペトロフ


     「お、今日も残業ですか?お疲れさまです」
     カウンターの前に立つと、すぐに気付いた店主が顔を覗かせ、そう言った。
     時刻は夜19時55分。………確実に、私が最後の客だろう。それでも彼は嫌な顔ひとつせずにニコニコしている。それはいつもと変わらない、と言っていい。
     「ええ。……ノリ弁をお願いします」
     そんな事になんだか少し肩から力が抜けて、小さく頷いて、最近定番の注文をした。
     「は〜い。なんか最近ノリ弁多いっすね?」
     それには彼も気付いていたのか、不思議そうな顔をして問い掛けてきた。
     ここのノリ弁は普通のノリ弁と若干違う。あくまでも白米がノリ弁になっているだけで、おかずがちゃんとあった。ただ、それが若干少なめで、メインになるおかずがない。その代わり、一口サイズの副菜が豊富についている。
     何が食べたいという事を考える事が面倒臭くなると、いつもついこれを選んでしまう。他の弁当に問題があるわけではない。ただ、食べる事が面倒臭くなるのだ。
     「一番食べるのに手間がかからないもので。……あ、決して味をぞんざいにはしていません。気に触ったら……」
     ついそのままを口に出して、即座に失礼な物言いであった事に気付き、そっと訂正を入れる。
     ここの弁当は美味しい。それは間違いなく、正しい認識だ。ただ自分は時折、食べる事が億劫になる。その原因は解っているし、どうしようもないとも思っている。
     ………自分が選んだ道だ。そこから逃げるつもりも、悔い改める気も、ない。今更、それ以外を選べる筈がないのだから、それによってこの身に与えられる苦痛くらいは背負って然るべきだろう。
     罪人達が命での購いを成すように、私は裁きによって起こる己の心身の不和の享受すべきだ。裁きは、常に平等に。そうでなければ、意味などない。
     「いえいえ、全然!気にしてません。てか、それよりも」
     そう暗く染まりかけた思考を割って入るように、明るい声が驚いたように響いた。
     そうしてじっと、私を見つめる。顎に手をやり、まるで見分するような不躾さだ。……相変わらず突飛な人だと内心溜め息が落ちた。
     「………んー…あの、聞いてもいいっすか?」
     悩んだように下唇を突き出して私を見たあと、彼は頭をガシガシと掻きながら、困ったような顔で首を傾げて言った。
     「はあ…どうぞ?」
     何だろうかと思い、こちらも間の抜けた返事を返してしまう。元より彼は多弁なのか、よく話しかけてくる。お節介といった方がいいのかもしれない。
     今回はどれに属するのか解らないが、無視をするわけにもいかないだろう。
     「食べられないものとか、あります?」
     「いいえ、特には」
     やはり唐突で脈絡がない。多分彼の中では繋がりがあるのだろうが、残念ながら彼はその説明をしない。事前も、事後もだ。
     だからこそ考え無しに見えるが、それでも彼なりの理論や観念、あるいは美学とも言うべき意識によって成される事は、何となく知っている。そこまで親しいわけではないが、この店の噂はジャスティスタワーに勤めていれば嫌でも入るのだ。
     「ん、なら、ちょっとメニュー変えさせてもらいますね」
     そうしてやはり今も私には考え及ばない何かを考えて結論を出したのだろう。彼は頷きながら、そう断言した。
     「え?」
     何故その解答が今の質問から導かれたのか。そもそも何故店主が客の注文を反故して、メニューを決めてしまうのか。
     どこから異議を唱えて反論を成すべきか、悩んでしまう。それくらい、全てにおいて意味が解らなかった。
     そんな私を尻目に、キッチンで何かあたためだした彼はビシリと指先を突きつけ、どこか睨むようにして言った。
     ……人に指を突きつける事は不快に思う人間も多いので、止めた方がいいだろうと、この場で言ってもいいだろうか。悩む。
     「忙しいからって食事を適当にしちゃ駄目ですよ。バテますから、冬でも」
     「…………………」
     「顔色悪いですもん。あ、生姜平気ですか?」
     何故バレたと顔を顰めてみれば、彼はあっさりと言った。何故私が考えた事が解ったのだろう。
     ここは黙秘を貫いた方がいいだろうか。どうもこの男を前にすると、私に分が悪い。
     が、質問をされて無視をするという選択肢は残されていない。それがニコニコと人のいい、答えがないなど思ってもいない笑顔を前にしてしまえば、尚更だ。
     「平気ですが、何か?」
     言葉に詰まりそうになりながら、それでも仕方なく頷き、溜め息とともに答えた。
     少し突慳貪(つっけんどん)だった事は見逃して欲しい点だ。実際、この寒空の下で無駄口を叩く事は、空気の冷たさに喉も肺も軋んで有り難くない。
     「これ。ちょっと味見て下さい」
     そんな私を見越したかのように紙コップに何かを注いだ彼は、それを差し出して勧めてきた。中身は……具の入っていない、味噌汁だ。
     味を見るも何も、既に幾度か購入している品だ。もしかして配合を変えたのだろうか。
     そう思い訝し気に口に含んだ味噌汁は……いつもよりも味が濃く、出汁の風味が強い。味噌だけではない何かが入っている事は一目瞭然の違いだ。
     が、それでも、それがいいか悪いか、その解答を求められるならば、答えは決まっている。
     「………美味しい」
     いつもの味噌汁も勿論美味しい。が、どちらかというと薄目の味付けの多いこの店の味噌汁にしては、この味噌汁はしっかりとした濃いめだ。冬の寒さには有り難い、身体のあたたまる感じも不思議と心地よかった。
     「よかった!生姜と味噌と鰹節は身体を温めるのと、血の巡りをよくするのとで最強なんすよ。冬場はこっちにしようかと思って、調度作ってたんで、これもつけておきますね」
     不思議な味噌汁だとじっと空になった紙コップを見下ろしてみれば、彼はホッとしたように明るい声で言った。つまり、その3点のブレンドなのだろう。
     味の濃さと深みは鰹節、少し刺激的に感じたのは生姜の作用だろうか。料理には疎いのでよく解らないが、味は良かった。
     とはいえ、弁当を変更したのならば、一番安いと言って差し支えのないノリ弁よりもいいものになっているだろうし、それでも彼は値段を変更しないだろう。そういう人だから。そこに更に味噌汁までと思い、顔を顰めてしまう。
     「しかし、それだと……」
     「うちの弁当いつも買ってもらってるんで、こっちはサービスです。で、ノリ弁の代わりに、3色弁当。これなら食べる手間はノリ弁と大差ありませんから」
     そちらにとってマイナスだと言いかけた声は、嬉しそうに笑う声に被されて消えてしまった。
     「肉もしっかり摂らないと、倒れますよ?栄養補給して、また明日から頑張って下さい」
     「…………ありがとうございます」
     まるで見知ったかのような言い方だが、間違ってはいない。返事に困り、結局返せたのは、何の変哲もない、社交辞令のような言葉だった。
     「いいえ。毎度ありがとうございました!」
     それでも嬉しそうにニッパと笑う、年齢にふさわしくない笑顔。けれど、それが不快かと言われれば、否だろう。
     むしろ……そう、思いかけて首を振った。
     なるほど、何となく、納得した。この店がジャスティスタワー内勤者の中で常に『疲れた時に訪れたい癒しの店』のTOPを飾り続け、ついには殿堂入りしたわけを。
     食べる事は命を育むこと。医食同源。………つまりは、彼は食医に値するのだ。
     顔を見て、言葉を交わして、それだけで欲しがっているものを与えてくれる。
     大地の恵みを食み、命を食み、そうして、笑顔と心を食んで、人々はまた、歩く為のエネルギーを与えられる。

     当たり前の筈の摂食行動。けれど一体どれ程の人がその意味を理解し、口に入れるだろうか。
     なかなか面白い店だとつい訪れてしまう理由をようやく理解し、小さく笑う。


     ………今日は、いつもよりほんの少し優しく、ママに声を掛けられそうだった。

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