ヒーローの出動も収束を迎え、ポイントを得たヒーローへのインタビューもようやく終わった。
あまり得意とは言えないインタビューの方が、実際の出動よりもずっと疲れる。そんな事を考えながらワイルドタイガーは青いマスク越しに頭を掻いて軽い溜め息を落とした。
「あー…流石に疲れたな」
今日の出動は高層ビルの火災により逃げ遅れた人の救出だった。水を使う能力者のいない現役ヒーロー達には少々難のある出動だが、ワイルドタイガーには無関係だ。
いち早く能力を発動して、ヘリの撮影によって既に判明していた避難者達のいる階にジャンプのみで到達し、全員を屋上に誘導した。屋上に行けば、風を使う新人ヒーローがいるし、消防のヘリもある。地上への避難は彼らに任せ、ワイルドタイガーは能力が保たれている時間ギリギリまで灼熱地獄の中を駆け回り、逃げ遅れた人を数名発見してから舞い戻った。
それらの姿は、当然カメラなど担いでいる筈がない為テレビには映らなかったが、一番の救出ポイントを得たのは彼だった。とはいえ、絵柄的に空を飛ぶヒーローが要救助者を地上に助け降ろす姿の方が印象に残る点も踏まえ、彼のインタビューは極短くカットされた。
多分、あとで上司のベンが苦笑する事だろう。けれど彼は決してもっと目立つように上手く立ち回れ、などとは言わない。お前はお前らしくヒーローであればいいと笑い、励ましてくれるだろう。
そう思うと、出来ればもう少し、目立った方がいいのかと悩まなくもない。彼への恩義は生半なものではないのだ。それでもきっとスマートな演出など出来ない自分も解っているだけに、多分また同じケースが起きても、自分は真っ先に現場に飛び込んでカメラの存在など頭にもなく助けるべき人はどこかと吠えてしまう事だろう。
…………それでいいとはいえ、それだけでいいわけではないだろうに、困ったものだと唇を尖らせる。
と、そこに装甲車の如く身を鎧うヒーロー…ロックバイソンが気軽な調子でやって来た。
「なんだ虎徹、歳か?」
「今そっちで呼ぶんじゃねぇよ、牛!それとお前に歳の事言われたくねぇっての!」
おそらくは自分同様にトランスポーター待ちなのだろう昔馴染みに噛み付くようにワイルドタイガーは返す。この男は事件が終わるとつい馴染んでいる本名で呼んでしまう癖がある。いい加減ヒーローとして年数を重ねたのだから慣れろよと、ワイルドタイガーはますます唇を尖らせた。
ついでに、同い年の男に疲れたという言葉から老いたなと言わんばかりの苦笑の声を投げかけられたくない。今もまだ自分と彼のガチンコ対決は白黒がついていないのだから尚更だ。
そんな事は解っているのだろう、名前を間違えた事にだけ悪いと言い、ロックバイソンはワイルドタイガーにペットボトルを差し出した。自分は飲めないが、口元の出ている彼ならば飲めるだろうと持ってきてくれたらしい。
それを目を輝かせてワイルドタイガーは受け取った。灼熱地獄で駆け回っただけあって喉はカラカラだ。事件収束後すぐに渡されたペットボトルはとっくに飲み切っていたが、それでもまだ足りないと思っていたところの差し入れは有り難い。
ロックバイソンは能力の特性上、ビルの中に特攻を仕掛けるわけにもいかず、結果、他のヒーロー同様に周辺での避難誘導を勤しんでいた。そう喉も乾かなかったからとわざわざタイガーのインタビューが終わるまで待って自分の分を寄越しにきてくれたらしい。
素直でない気遣いに笑いながら、ごくごくと遠慮なくタイガーは飲み干していく。………ようやく人心地ついた気分だった。
そんなところにふわり、風が舞った。ただのビル風と気に掛けていなかったロックバイソンの隣、タイガーが怪訝そうに眉を顰めている。どうかしたのかと問うより早く、その風が声をかけてきた。
「年齢がどうかしたのかい?あ、もしかして誕生日かい、ワイルドくん!」
………新人ヒーロー、風の魔術師こと、スカイハイだ。今日は空からの避難誘導で殊更ピックアップされていたため、インタビューが長引いたらしい。ようやく解放された彼は、居場所を探してか、こちらにやって来たようだった。
元々人懐っこい新人は、ワイルドタイガーとロックバイソン、それに今日は出動していないファイヤーエンブレムの三人が固まっていると寄ってくる。明るい雰囲気を見つけると自然と足が向いてしまうのか、それは無意識に程近い行為らしかった。
いつもの如く特に意味も脈絡もなく加わった相手に苦笑しながら、タイガーが片眉を上げてふわり地面に足をつけたスカイハイに声を掛けた。
「ってお前どこから湧いたんだよ」
「え?たった今飛んできたよ?」
この通りと両手を広げて着地体勢を見せながら首を傾げる様は、こちらの意図は汲んでくれないらしい。
インタビューが終わってやってきたというなら、観衆から見えない位置まで引っ込んでいる自分達をわざわざ探したか、ずっと目で追っていたかのどちらかだが、多分、後者だと勘づいた。
「ああ、うん……本当に飛んで、だな……まあいいけど」
そんな事をして仲間の近くに能力を使ってすっ飛んでくるよりやる事があるだろうにと、タイガーは額に手を乗せて軽い溜め息を吐く。
それにスカイハイは今度は首を逆向きに傾げさせた。
「?」
「気にするな、スカイハイ。………っと、トランスポーターがきたな。お疲れさん」
フルフェイスの内側では目を瞬かせているだろう好青年が目に見えるようで、ロックバイソンがぽんと彼の肩を叩いた。次いで歓声のようなざわめきでヒーロー達のトランスポーターがやって来た事を知る。
そのまま首を巡らせて告げるロックバイソンに、スカイハイは敬礼をするようにその指先をピンと伸ばして額に添えた。
「おつかれさま、そしてご苦労様!」
明るく快活な声が現場である事も忘れさせるように響く。それに緩く笑み、タイガーもロックバイソンに顔を向けて軽く手を振った。
「おう、気をつけて帰れよ。あと腕、きちんとドクターに診てもらえ」
その振った手のひらでビシリと彼の左肘付近を指差せば、ギクリとロックバイソンの歩みがぎこちなく揺れた。
それからちらとワイルドタイガーを見遣ったあと、軽く溜め息を落としたロックバイソンはこくりと頷き背を向け、指摘されたのとは逆の腕を振りながら歩いていく。
「………解ってる。じゃーな」
「ったく、放置する気だったな、あの馬鹿」
その背中を仕方がなさそうに下唇を突き出して睨みながら、腰に手を当てたワイルドタイガーが呆れたいようにひとりごちた。
隣に歩を進めていたスカイハイはその声を聞き取り、はてと首を傾げて歩みゆく背中と隣の横顔を交互に見遣った。
「ワイルドくん、バイソンくんは怪我をしたのかな?」
「んあ?………ああ、左の肘かな。能力解いたあとに瓦礫が降ってきてたからな」
調度救助活動も終わりに近付いた頃、火災で脆くなった壁の一部が崩落した。それに気付いた上空のスカイハイが、咄嗟にそれらを風によって浮かび上がらせ、その落下速度を押さえ込んだ姿はTVにもクローズアップされていた。
が、実際はそれを全て抱えられたわけではない。ましてや彼はその時救助者を抱えた状態だったのだから、そこまで大仰に風を操れる余裕はなかった。
結果、速度を落とせはしたが危険のない場所に全てを運ぶ事は出来ず、一部は降り注いでしまい、それを地上にいたヒーローが退けた。タイガーが指摘した怪我は、その時にどうやら負った負傷らしい。
それに気付き、途端しゅんとスカイハイの肩が落とされて俯いてしまう。
「………そうか…私の力が及ばなかったばかりに申し訳ない事をしてしまった」
全てを緩やかに、危険なく地上に下ろせればあの怪我もなかっただろう。そう思えば自身の非力さを痛感した。
そんな悔やむ声に、ペチリと可愛らしい音でタイガーはスカイハイのマスクの後頭部を叩いて笑った。
今回の規模のビル火災で、正直、死者が出なかったのは彼の働きが大きい。つまり、彼の加入以前であればもっと暗澹たる思いでこの時間を過ごしていただろう。
命を守りきれた。大勢が救助対象となる事件であるならば、それ以上を求める事は難しい。………ヒーローという職にあろうと限界値は存在するのだ。
理想は高く持つ事を咎めはしないが、そちらに目を奪われて現実を知らないのでは成長などある筈もない。可能性をその身に宿し空を舞う彼には、もっとそんな風に俯き地面を見下ろす以上に、同じ視野に立ち、あらゆる経験を吸収してその翼を広げて欲しかった。
「阿呆。お前ひとりで出来るかっての。お前は十分の働きだったよ、新人」
柔らかく細められた琥珀が青いマスク越しに笑んで注がれ、スカイハイはマスクの奥で目を瞬かせた。………何を言われているのか、一瞬掴めなかった。が、すぐにそれが褒め言葉であり激励でもある事に気付き、目を輝かせて両手を上げた。
「そ、そうかい?そう言ってもらえると嬉しい。とても嬉しいよ!」
まだまだ現場に不慣れで、どうしても足を引っ張ってしまう事が多い。空を飛んでいる構図が欲しいといわれているせいでなかなか地上に降りる事も出来ないし、空を飛ぶ事に集中しているとどうしたって他のヒーローの動きに俊敏にあわせる事が出来ない。………スピードが劣るわけではないのだ。ただ、気付きが一歩、遅れてしまう。
それも気にしていたけれど、今日は空にいたからこそ、ワイルドタイガーの補助に入れたし、煙が少しでも喉を焼かないようにと吸い上げる事も出来た。
少しは彼らの役に立ち、市民を守る事が出来ただろうか。そうフルフェイスのマスク越しで解る筈もないというのに子犬のように喜びに染まって見上げている眼差しが手にとるように感じられて、タイガーは小さく吹き出してしまう。
キョトンと首を傾げてスカイハイを誤摩化すように口元を軽く手で拭い、逆手でぽんと彼の肩を叩く。
「おう、その意気で頑張ってけよ。さて、俺も帰るかな。お前もお迎えだ」
ニッとシニカルに笑んで告げながら、ワイルドタイガーはロックバイソンが立ち去った方角に首を巡らせた。その先には遠目ながらトランスポーターが窺えた。
それをマスクの機能だろうか、しっかりと把握したらしいスカイハイが少しだけ肩を落として寂しそうに呟いた。
「ああ本当だ。残念だ。こうして出動の時くらいしか、なかなか顔合わせが出来ないなんて……」
事件の最中に悠長に話せる筈がないし、解決したあとは迎えが来てしまえば一応はライバル同士、そう長く一緒にいれもしない。
そもそもスカイハイのヒーロースーツは現状ヒーロー内でも随一の技術を内包しているトップシークレットだ。そんなものを着たままふらふらと他社の技術者に顔合わせも出来ないのだから、当然時間は極限られてしまう。
もっとみんなと話がしたいし教授して欲しい事があるのにと、まるで学生のような真摯さで呟く様に、タイガーは真面目だねぇと軽く笑った。
「仕方ねぇよ。トレーニングルームはまだ改装中だしな。いいじゃねぇか、次にトレーニングルームで会う時にゃ、最新機器が揃ってるぜ?」
「うん、それも楽しみだ。そして君と一緒にトレーニング出来るのも!」
是非一緒に!と無邪気に誘う声に、ひくり、タイガーの口元が引き攣った。
スカイハイは風を操るNEXT能力者だ。が、彼はその類い稀な肉体を筋肉で覆い体幹を支える事を可能にして、空を飛ぶ。
それを維持する為に行っている彼のトレーニングは、正直どんな苦行かと問いたくなる程だ。それを新人でありながら文句もないどころか、苦もなくこなすのだ。詮索をするつもりはないが、彼の前身がどこにあったのかを考えると少し怖い気もする程、彼は身体を鍛える事に慣れている。
「………お前と同じメニューはしねぇぞ。筋肉のつけ方が違うし」
そんな相手と一緒にトレーニング。この笑顔で『さあ次は自由形で10km泳ごう!』などと言われては敵わない。あくまでトレーニングの1つでしかない癖に、軽い準備運動でそれだ。トレーニングの途中で出動が掛けられでもしたら身体を動かせなくなる。
そんな危惧を抱かれているなどとは露程も思わず、スカイハイは朗らかに笑いながら頷いた。
「解っているとも!それでもやはり、休憩の時にひとりよりもずっと嬉しいよ」
やはり人懐っこい犬のような青年だ。そんな事を思いながら了承の頷きを返していると、少し遠くから自分を呼ぶ声が聞こえ、タイガーは慌てたようにそちらに振り返った。
思った通り、上司であるベンが呆れたように手を振っている。
「そうだな…っと、やべ、ベンさんだ!じゃあな、スカイハイ!お前もきっちり休め。それと水分摂っとけよ。熱出すぞ」
呼び声に答えながら駆け出し、ワイルドタイガーは思い出したように片眉を上げて窘めるような笑みに唇を染めると、ピッと指先を振って立ち去ってしまう。
「………………!」
その背中を、驚いたように目を丸めてスカイハイは見送ってしまった。呆気にとられたといっていい。
熱。………何故、彼は解ったのだろうか。ワイルドタイガーと違い、スカイハイは全身を覆うタイプのヒーロースーツを纏っているのだ。声も仕草も、どこも具合が悪い雰囲気など、自分は出した筈がないのにと首を傾げてしまう。
「いつも思うけれど、どうしてあんなに彼は人の状態に敏感なんだろう」
それでも、彼の言う通り、少々今日は自分のキャパシティーを越えて活動してしまった為、酷使された身体は休養を要求している。
単純に言ってしまえば、オーバーワークによるオーバーヒート。…………身体が熱くなり始めているのは、何も火事場にいたからというわけではない事くらい、スカイハイも自覚していた。
「さて……忠告通り、水分補給と、あとは解熱剤も一応飲んだ方がいいかな」
くすりと小さく笑い、スカイハイもまた歩き始める。………スタッフ達が今日の出動のデータ解析の為に自分を待っているだろう。
その歩先はしっかりとしていて揺るぎない。
けれど、確かに無茶をしたのだろう。スカイハイはトランスポーターでメディカルチェックを受けると、そのまま休養をとるように言いつけられて、問答無用で酸素カプセルに放り込まれてしまった。
[newpage]
その日、空を飛んでいたのは偶然か必然か。そんな事を論ずる意味もないが、ただその日、まだ慣れない夜間飛行の最中に、たったひとりの人物に気付けた理由は解らない。
しかもその人物が壁に背を預け、その癖角から首さえ遠慮するように眼差しだけを狡猾に煌めかせて道路…否、その更に先にある家を伺っているときては、そのまま見過ごすわけにもいかない。
彼が犯罪行為に走るなどという想定はまずない。脳裏に浮かんだのは、彼が無茶をするのではないか、そんな危惧ばかりだった。
それでもこんな場所から急下降したならば驚かせるだろう。思い、スカイハイは上空高くで風を纏いながら一瞬思案する。
そして辺り一帯を見下ろしたあと、眼下の男が注視している方角から死角となる方向へと身体を滑らせ、光を出来るだけ浴びないように木陰に潜みつつ地面近くまで舞い降りた。
ささやかな機転と努力のおかげか、足音を殺す為に宙に浮いたままのスカイハイに、前方を気に掛けている男は気付かない。
どう声を掛けようか。驚かせるだろうと思いつつ、ひっそりと囁くようにスカイハイは眼前の男…ワイルドタイガーこと鏑木・T・虎徹に問い掛けた。
「………ワイルドくん、どうしたんだい?」
それはいっそ愚直なまでに真っ直ぐな、その場の雰囲気には欠片も溶け込まない声と言葉だった。
「ッダ?!って、おま、スカイハイ?!何でこんなところに!」
案の定驚かせてしまったらしく、虎徹は目を丸めて身体ごとスカイハイに向き直った。同時にまた周囲の気配を読むように琥珀は眇められ、ゆったりとねめつけるように暗闇といって差し障りのない周囲を睨みつける。
暫しの沈黙。それから、再びスカイハイに視線を向けた虎徹が、少しだけ怒ったように中空のヒーロースーツを睨む。
集中の邪魔をしてはいけないと喋る事を遠慮していたのが悪かったのか、その睨みつける眼差しは少しばかり普段の彼の快活な朗らかさから掛け離れた凄みあるものだった。
思わず両手をホールドアップさせながら、スカイハイはこてんと首を傾げて困ったようにしどろもどろと虎徹の問いというには少々乱暴だった言葉の切れ端と、現状与えられている視線とに押され気味になりながら答えを探して呟いた。
「え、…と、その、自主トレをかねて街の上空を飛んでいるんだよ。ほら、夜間は照明の具合もあって昼間と勝手が違うからね。いざという時のため」
「ああ、いい。説明あとで聞くわ。………それより、黙っていろ。あともっと隠れろ、お前目立つ!」
困ったように理由を口にするスカイハイの言葉を途中で遮るように声を挟み、虎徹は低く潜めた声で叱るように断じた。
そんな声と態度にますます困惑したスカイハイは、もしもそのフルフェイスのマスクをしていなかったならば垂れた眉と子犬のような眼差しが戸惑いに揺れていた事だろう。
が、今はそんな純正の青年ではない、ヒーロー・スカイハイとしてたたずむ彼は、戸惑いに首を傾げながらも緩やかに首を縦に振って、先輩ヒーローの微かな空気の変化に順応するように声を鎮めて地上に降り立った。
「…………解った。そして了解だ」
そっと潜められた声は夜気に馴染むような微かさだ。それでもいっそ玲瓏な涼やかさは、結局はその音色を携える人物の心根の音だからだろう。
そんな事を思い、虎徹はちらり、視線だけで先程まで様子を伺っていた道路の先を見つめてからスカイハイを見遣った。
できれば、さっさとこの後輩を帰してしまいたい。正直、巻き込みたいとは思わなかった。だからこその普段とはまるで違う切って捨てるような声や荒々しい態度だというのに、スカイハイは戸惑いは見せはしたが恐れたり怯んだりする様子はなかった。
………流石は空気を受け流してマイペースに進んでいく天然青年だ。そんな事を思いながら彼の存在をスルーするようにまた無言のまま背後に首を向ける。
「で、ワイルドくんは一体何をしているんだい?」
その背中に、先程同様の言葉を、今度は囁く程に微かに問い掛ける。……その声から戸惑いが消えた事に、虎徹は下唇を突き出して溜め息を飲み込んだ。
これはあまり良くない方向に話が進みそうだ。どうやってこの馬鹿な後輩を夜空の散歩…もとい夜間飛行の自主練に戻せばいいだろうか。
考え……いい案が浮かぶ筈もなく、ガシガシと乱暴に自身の頭を掻きながら素っ気なく背を向けたまま対岸の家を指差した。
「あそこ。廃墟の筈なんだが、最近明かりが灯ってるって話でな。一応見にきた」
軽い口調に竦められた肩。ちらり振り返った先のスカイハイに映る顔は、おそらくは戯けた笑みの普段通りの自分。
「それはおかしいね。警察からの依頼かい?」
……………が、相手はひどく生真面目な声で優等生な解答を返してきた。まったく自分が誘導しようとした方向に歩んでくれる気はない思考回路だ。
内心溜め息を吐きながら、今度こそ本気で肩を竦めて虎徹は緩く首を振る。
「そんなわけあるか。飲み屋にいたおっさんが帰りに見かけたんだとよ」
独り言じみた解答に、ポンッと軽い音を立ててスカイハイが手を叩いた。
「そうか、だから夜の様子を知っていたんだね」
少しその声は明るい。確かにこんな時間、こんな場所、普通であれば歩かない。だからこそ気付かれる筈のない場所でコソコソしている虎徹はとても怪しいが、これが酔っ払い千鳥足の男達であれば、誰か物好きが引っ越したと考えるか……初めから気にも掛けない可能性の方が高いかもしれない。
とはいえ、今回の目撃者は意外と真面目なのか好奇心旺盛なのか、昼間に同じ道を通りかかったならばやはり空き家であるこの家を怪訝に思ったらしい。
「その程度じゃ警察は動かねぇしな。まだ騒動になってねぇが………嫌な予感がする」
だからといって空き家に誰かいたかもしれない、などというあやふやな酔っ払いの目撃証言を懇切丁寧に洗ってくれる程ボランティア精神に溢れた警察機関は、世界中を探してもある筈がない。
目撃した当の本人でさえ勘違いだろうさと笑っていたくらいだ。が、虎徹はそれをその場では笑って流しながらも、それ以降酒を控えてそのままここにやってきた。
それくらいは勘づいてしまったのだろう、スカイハイが真っ直ぐに虎徹を見遣り、幼子のような飾り気のない、いっそ無粋な疑問を口にする。
「どうしてだい?」
「知るかよ、ただの勘だ、勘!」
ガシガシと再び乱暴に自身の髪を掻き混ぜ、虎徹は荒っぽく素っ気ない解答を口にする。
………説明を求められても困るのだ。理由らしきものならば上げられる。が、それを理論立てて根拠となるべき形に変えろと言われても虎徹には難しい。
ただ明滅する情報達が、虎徹の胸を騒がせる。杞憂であれば自分の勘違いで終わるのだ。それだけの、いつも通りの話なのだから、彼にもその程度の話かとロックバイソンのように肩を竦めて話を終わりにしてもらいたかった。
けれどスカイハイはそんな虎徹の態度に再び首を傾げてしまう。………が、それは戸惑いからではない。何か、言い方を間違ったらしい事に気付いたからだ。
「うん?……うん、ねぇワイルドくん、勘と君はいうけれど、確信があるね」
順序立てた確かな証などをスカイハイは求めてはいない。ただ、虎徹に言って欲しい言葉があった。
それはこのヒーロースーツに身を包んだものならば誰もが求める言葉だ。そう確信し、疑う事もないスカイハイの迷いのなさは、新人であるからこその綺麗事ではない事を、素の彼自身とも関わる虎徹には伝わってしまう。
同じように、今彼の声に潜められた、厄介とも言える解答を求める響きに、虎徹ははぁと溜め息を落としながら片手で顔を覆った。
「お前黙ってろって言ってんのに……」
だから初めからそう言ったのだ。勘づけばこの馬鹿な青年はそれを求めるだろう。自分はもう既に慣れた事だし、ベンも咎めはしない。けれど通常であれば、それはあまり褒められた話ではない事くらい、いくら虎徹でも理解している。
そして相手は新人ヒーローだ。決してこれが彼にいい影響を与えるものではないだろう事くらい、解っているのだ。
だというのに、虎徹のその声に、スカイハイは朗らかな声で答えた。
「すまない、そして申し訳ない。でもね、ワイルドくん、アイパッチをつけている君を前にすれば、私も相応に身構えざるを得ないよ」
「……………………」
いっそ、それは満面の笑みが見えるくらい、明るく響く。
だから言葉を。………同じ場所に立つ事を許す言葉が欲しいのだと、まるで忠犬のような潔さでこの街に殉じる事を決めている空を舞う騎士が恭しくその手を差し出した。
それを睨むようにアイパッチの奥の黄金が煌めきながら見据えた。
………月明かりよりなお鮮やかにそれは輝き、そっと一度、瞼の裏に隠される。
そうして、生粋の意志を乗せた至純の輝石がスカイハイを映し、頷いた。
「っち、仕方ねぇな。付き合え、スカイハイ」
差し出された手のひらを軽く叩いてハイタッチ代わりのように促し、虎徹は背を向けた。そのまま闇に隠れて駆け出す背中は、警戒などせず、ましてや疑う事もないまま、ただ当たり前にその背を負う事を信じ晒された。
その無言の信頼にスカイハイはフルフェイスの下、パァと晴れやかに笑んで頷き、地を蹴り、微かに浮いて駆ける虎徹の背を追いかけた。
「喜んで!」
まるで遊びに誘われた子供のような無邪気さで答えたあと、さっと変化したその身を包む気配の鋭さに、前をいく虎徹は苦笑し、豹変具合なら自分以上だとクツリ微かに笑った。
[newpage]
二人が突入した先には、確かに人がいた。まだハイスクールか、卒業したての未成年程の青年達が数人寄り集まっている。
室内は薄暗く、ランタンや懐中電灯だけが光源だった。電気が通っていないせいだろうが、それでも火を焼べるくらい出来そうな暖炉も、煤けてはいるが室内にはあった。が、そこを使った様子はなかった。
それも当然と能力を発動して青を身に纏った虎徹は納得した。同じようにヒーロースーツ越しに暗い室内をクリアに換えた画像を見たスカイハイも息を飲む。
彼らの周囲には花火が散らばっていた。ただし、それで遊ぼうなどという無邪気さからは掛け離れている。
何故なら、それらの花火は全て解体され、中身の火薬が抜き取られていたからだ。こんな中では確かに危険で火を扱う事は出来ないだろう。煙草も吸っていないのは、あるいはそうした点では几帳面であるか賢明であるというべきか、悩むところだ。
その傍にはご丁寧に脅迫状にでも使うつもりだったのか、PCで作成された陳腐な脅迫文が続かれている。
そして調度火薬の抜き出しも終わったのか、突然の闖入者に呆気にとられていた青年の手には片面を封じられたプラスチック製のパイプがあり、その中には既に相応の火薬が詰め込まれていた。
あとはそれを逆側も密閉し、信管を取り付ければ立派な爆弾だ。最も彼らの横に放られているものは導火線が覗くところを見ると、導火線式雷管なのかもしれない。随分と古いタイプだが、素人が遊び感覚で作るのであればお手軽だったのだろうか。
はたしてそれが目的通りに爆発物としての機能を持つかは怪しいが、それでも彼らがそれを爆弾と認識して作っている事は明白だ。
ワイルドタイガーとスカイハイは一瞬視線を交わらせ、同時に地面を蹴った。
青年達が気付いた時には風によって弾かれた雷管が部屋の隅に寄せられ彼らの手の届かない場所に離され、目を瞬かせ叫ぼうとした時には、眼前に迫ったワイルドタイガーの腕により、床へと投げ飛ばされて天井を見上げるか床にキスをするかのどちらかを選ぶ事になった。
物の数分もせず、その場は鎮圧されてしまった。
面白半分のテロリスト候補は、一言も発する事もないまま、薄暗い室内であっさりとヒーローの手に落ち、闇夜の空にサイレンが静々と鳴り響く音を聞いた。
全てが終わり、結果としては華々しいデビューとともにプライベート時間にさえヒーローとして努力を重ねていたスカイハイが闇夜に蠢く犯罪を未然に防いだ、という趣旨での特番が組まれる事になった。
そう知らされたのは、翌日、ようやく改装が終わったトレーニングルームでだった。
それを虎徹に知らせたのはスカイハイことキースで、ロッカールームのベンチに座っていたところ、暗い顔をして教えられて虎徹は苦笑した。
「……結局、全部私の手柄になってしまったよ………」
「いやそこは喜べよ。特集組まれんだぞ、お前」
そもそも自分は颯爽と事が済んだら消えていたのだ。現場に残されて事後処理をしたのは紛れもなくスカイハイで、まだ手慣れていないそれらの事情聴取の最中、消えたワイルドタイガーに気付くようなゆとりもなかったであろうし、
その場にいないヒーローの存在を勘繰る関係者もいない。結果、スカイハイのお手柄と報道されたわけだが、そこに虎徹は不満を挟む気はなかった。
そもそも、それに不満を思うのであれば、あんな風に雲隠れしたりはしない。ついでに言えば、この事態も虎徹には予想出来た事だ。
そう教えるようなのんびりした虎徹の態度に、けれどキースは不満そうに顔を顰めた。
「だって、私がもしもただ訓練で空を飛んでいたなら、あんな場所に出会す事はなかった」
キースはただ夜間の飛行練習をしていただけだ。昼間であれば見えていた障害物が闇夜に隠され解らなくなる。暗視スコープの扱いにも慣れなくてはいけないし、それに頼るばかりでは実際に光を集められた場所での動きが鈍くなる可能性もある。追い詰めるだけの事態であればいいが、相手が迎撃する可能性を考えたなら、その数秒の間は命取りだ。
より速やかに、よりスムーズに、ただ空を駆け追い詰める。それだけでも逃げる人間には脅威だ。特に、空からの追手という、通常であれば有り得ない状況は心的圧迫としての効果も高い。
ただそれを手にする為に訓練していたスカイハイが今回の事件に関わり、犯人を捕らえる事が出来たのは、ひとえにその存在を教え、ともに突入してくれたワイルドタイガーの導きとフォローがあってこそだ。
「君がいて、君が突入をしかけて、結果として、私が援護をして捕らえる事が出来たにすぎないのに………」
唇をきゅっと引き結んで、泣き出す子供のように項垂れるキースが悔し気に呟く。
おそらくは報道を見て真っ先に事実との違いを訴えたのだろう。が、既に路線はそれで固定されてしまっているし、自分からの文句もなかったのだから、あの敏腕ディレクターが変更する事もないだろう。より絵になり華やかで話題になる、注目を集める方向で固定する筈だ。
解っていたからこそ肩を竦め、虎徹は項垂れて立ち尽くすキースを躱すように軽い調子で返した。
「別に俺は気にしてねぇよ。上手い事、事前逮捕だ。あいつらの罪もそう重くならねぇし」
まだ若い青年達だった。作っていた爆弾とて、上等とは言い難い、本当に爆発するかも怪しい粗悪品だった。………きっと魔が差したとか、好奇心に負けたとか、その程度の愉快犯だ。今回の事で灸を据えられて道を間違えずに進めればそれに越した事はない。
そんなワイルドタイガーらしい言葉に、けれどキースは首を振って少しばかり普段よりも鋭い声をロッカールームに響かせた。
「でも、君の努力が評価されない!そんな事はおかしいよ!」
自分自身が讃えられても、それがワイルドタイガーを足蹴にした形になる事が許せないのか、その声は悔しさと事件当日に頭の回らなかった自分の失態に憤っていた。
「お前、根っからのお人好しだな〜」
そんなキースに軽く笑い、虎徹は呑気な声で呟く。
ヒーローといっても所詮は人気商売だ。ポイントが上がれば注目度も高まるし、話題を呼んでスポンサーへの貢献も出来る。そうした駆け引きも必要なのが、夢や希望だけで出来ていない現実のサラリーマンヒーローである自分達だ。
「努力は必ず評価されるわけじゃねぇんだよ。社会はそういうもんなの。だから、俺だってそれなりにポイント稼いで頑張ってんだ。でもな」
クスリと笑う笑みには微かな自嘲と戯け。それと揶揄よりは嗜めと慰めが等分に込められた眼差しがキースに注がれる。
それを、けれどキースは拒むように真っ直ぐに睨み返した。……睨むというのもおかしいかもしれないが、気迫の込められた花浅葱は普段とは違い、見るものに逸らす事も偽る事も許さない頑さに染まっている。
それに仕方がなさそうに吐息を吐き出し、組んだ足に肘を乗せ、手のひらで顎を支えた虎徹は下唇を突き出しながら、納得が出来なくて癇癪を起こしそうな子供を言い含めるように呟く。
「ヒーローとしてやりたいもんは、そんな賭け事じみた競い合いじゃねぇんだよ。だから、カメラのない場所の記録なんて、なくてもいいんだ」
「なら、私だっていらない!君が評価されないのに私だけなんておかしいっ」
が、それは自分とて同じだという免罪符をキースに与えたに過ぎなかったらしい。即座に叫ぶ声は清々しい程にフェアだ。
けれどその言葉を受け取った琥珀は、すぅと細まり、睫毛の影に微かに暗みを増させた。………憤怒、ではない。けれどどこか切っ先鋭い雰囲気が虎徹の身を包む。
「お前は貰っとけ」
返された言葉はいっそ素っ気ない。一瞬虎徹の纏う気配に息を飲んだキースは、それでもそれを跳ね返すように肚に力を込めて唇を解いた。
「なんで!!」
「お前が空飛ぶヒーローで、その為の努力を欠かさねぇからだ、スカイハイ」
激高するその声に、いっそ冷ややかな程冷静に煌めく琥珀が見据えるようにキースに向けられた。
そうして与えられた言葉。………その意味が自身の怒りと直結せず、一瞬息を飲んだキースは躊躇いがちに眉を寄せて虎徹の言葉を咀嚼する。
自分が訴えたこと。彼が受け入れろという理由。それは空を飛ぶ風使いの能力者であること。そしてそれを維持する為に行うトレーニングを欠かさず重ねる事実が由来するという。
けれどそれらを組み合わせようとしても、バラバラのピースは枠組みの中に収まる事はなく、反発しあってバラバラのままだ。
微かな思案の為の時間。その沈黙を、緩く首を振ったキースが解きほぐすように虎徹を見つめて問う事で砕いた。
「………………、どういう事だい?」
躊躇いとともに、けれど困惑の中に真摯なまでに生真面目なひたむきさを秘めて囁く声に、虎徹は緩く唇を和らげた。……が、その眼差しを染めるしたたかな煌めきは変わらずキースを貫いていた。
「あの日、お前は自主練だって言って夜中の飛行訓練をしていた。今回の事件が公になれば、夜間にもヒーローの目があると市民が知る」
「………………………」
「それは犯罪の抑制になるし、市民の安心にも繋がる。だからお前は受け入れろ」
キッパリと、いっそ傲岸な命令にも似た言葉を敢えて選び、虎徹が告げる。普段であれば微かに見下ろす眼差しを、ベンチに座る虎徹は睨み上げた。
見据えた先の花浅葱が憤怒に彩られる事くらい、覚悟した言葉だった。身勝手に強制される義務を喜ぶものはいない。
それでも、それを受け入れようと受け入れまいと、ただ今回の事実を公表するだけでも意味はある。
………その代わり、それを続行しない場合、今後のインタビュー等で嫌味な記者に何らかの質問を浴びせられる可能性は否めない。それを考慮したなら、その事実はあまり触れずに終わらせたいところだろう。
だからこそ、先輩である自分の圧力に負けたという事実を彼に与えた。
そうしたなら、いつかそれが彼の風評に関わる事があろうと、逃げ道がある。押し付けられた正義であるならば彼がそれを体現しなくてはいけない義理はないうのだ。
だから、懐かれていたこの子犬に厭われるぐらいの覚悟を持って、今回の事件に彼を巻き込んだ。そう琥珀は告げるでもなく全てを包み隠して、驚きに目を丸める花浅葱に浮かぶであろう嫌悪と憤りを待っていた。
キースの顔が歪んだ、悔しそうに、苦しそうにその凛々しい眉が歪められる。眇められた澄んだ青は水膜に溺れて揺らめき、いつも笑みを添えている唇が噛み締められた。
それをただ当たり前に虎徹は見上げ、彼が唇を開くのを待っていた。
「………君は、ずるいよ、ワイルドくん」
戦慄きとともにキースが呟く。
まったくその通りだと思い、虎徹は軽く頷いた。
「そんな風に言われたら、辞退が出来ない………!」
が、泣き出しそうな震える掠れた声は、そんな言葉を綴った。…………………想像とは真逆の、自虐を込めた泣き出す子供の声だ。
それに虎徹は虚を突かれて目を丸めた。惚けたような顔には先程までの冷ややかな鋭さはない。むしろ普段の戯けた仕草に似た抜けた空気が纏われた。
「へ?……って、お前、解ってんの?」
「解っているさ。人々の為に君を蔑ろにしてひとり讃えられろと言われたんだ。悔しいよっ」
本当に賛辞を浴びるべきはワイルドタイガーだというのに、そのあとをついていった自分ひとりが脚光を浴び、讃えられるべき人が日陰にたたずむ。こんな理不尽を飲み込む事が願われるなんて、悔しい。その癖、それを打破するべき方法が何一つ浮かばない自分が不甲斐ない。
そう顔を歪め唇を噛み締め、小刻みに身体を震わせながら悔やむ声が自身への怒りに染まっていた。
思わず虎徹は間抜けなままの顔で目を瞬かせてしまう。解っているのか、いないのか。理解していると言いながら、彼は自身が背負わされる重責に触れはしない。
「その代わり、お前は毎日空飛ぶっつー義務が出来るんだ。俺はどっちかっていうとお前に恨まれる覚悟してたんだけど……?」
躊躇いながら、虎徹は困惑に片眉を上げてキースを見上げる。
罵られるくらいのつもりで押し付けた事だ。彼がそれを行うとなれば、この先ずっと、ヒーローである限り彼の中のプライベートの時間をかなり削るだろう。
それがどれ程の負担になるか、虎徹とて正確には把握出来ない。そうだというのに、そう告げた先の花浅葱は驚きに目を丸め、心外だと言わんばかりに大きく首を振った。
「恨む筈がない!私はヒーローでありたい。市民を守り、みんなを笑顔に出来る、そんなヒーローに!」
自分が願い望んだそんな象徴。この街の中、鮮やかに咲き誇り人々の中の希望を植える大輪の花達。
そんな、目には見えず、けれど必ず誰もに必要である光となれるなら、自分にとってどれ程の誉れだろうか。
……ずっと、自分はそんな光達に憧れTVを見つめていた。自分がそんな存在になれる程の度量はないけれど、そうあれるように重ねる努力に喜びこそあれ、恨むなど筋違いだ。
「君のような、ヒーローになりたいと思ったんだ。だから、その君に託されるなら、光栄と思いこそすれ、恨むなんてあり得ない!」
普段の穏やかさからは想像も出来ない意気込むキースの言葉に、驚いたように目を丸めた虎徹は、そのまま数度瞬きをした。それから、彼の必死の形相を見つめて小さく苦笑し、呟やく。
「そんな大それたもんじゃねぇんだけどなー」
「私達には大きな事だよ。君は自覚がないんだ」
肩を竦めて首を傾げる虎徹に、キースは困ったような顔で呟く。こうして互いに素顔だというのに、それでも虎徹の眼差しはヒーローのものだ。誰かの為に駆ける事をよしとし、自身の為にその便利な能力を使わないと決めている、少し偏屈で頑固な、けれど誰よりも優しくしなやかな地上の覇者。
TV越しで見つめていた姿は、間近で見たならばより一層目を奪う鮮やかさだ。泥臭く青臭い、そんな言葉がつきまとおうとも、その魂の咆哮は上空の澄み渡った空気以上に張りつめて鋭く耳を貫き人々の心に谺する。
憧れていた…と、言うのも愚かだ。ヒーローとは斯くあるべしと思った先に、彼がいたのだから。
「だから、ワイルドタイガー、お願いだ。もしもまた、君が夜を駆け、カメラのない危険の高い事件に立ち向かうというのなら」
ひたと、花浅葱が琥珀を見据えて囁く。
………今回、たまたまスカイハイはワイルドタイガーを見つけてこの事件に関わった。
けれど、今までそんな話を聞いた事がなかった。それでも彼は手慣れていた。ひとりで犯罪予備軍を相手にしたり、あるいは未発覚の犯罪に立ち向かう事に。
それはつまり、ずっとひとりでそれらに対処してきたという事だ。たった独り、闇夜の中を駆け巡り、息を潜めてシュテルンビルドの虎は光の中で微笑む市民とは相反する場所に足を踏み込み、この街の暗さを背負っていた。
……………それならば。
「どうか、私を呼び出して欲しい。私はいつでも、きっとこの街の空にいて、君からの救援コールを待っている」
自分を、使ってくれればいい。同じ志を持つ自分ならば何の問題もない。この街を愛おしみ、人々の笑顔の為に重ねる努力に苦を思わない。
夜空を飛ぶパトロールとて、喜んでこの身に引き受けよう。毎日、一日だって欠かさずに敢行してみせる。
だから、だからせめて、その努力を讃えるたった一言を与えて欲しかった。それはあるいは彼からしてみれば、更なる過酷さを与えると躊躇うかもしれない。
それでも、欲しかった。
それさえあれば、どんな努力とて報われる。
だから、と、眩そうに細められた花浅葱が琥珀を見つめて煌めいた。
「それを約束してくれるなら、今回の特番を受け入れるよ。……どうだろうか?」
躊躇いに視線を逸らして眉を顰めた虎徹に、そっと、まるで交換条件のように提示する。
不快に思うだろうか。ふざけるなと眼差しを吊り上げて吐き捨てられるだろうか。一瞬そんな夢想をして、ゾクリと肌が粟立つ。
が、そんな不安は無用の憂いだと、躊躇いがちにキースを見た虎徹の穏やかな眼差しが教えてくれた。
それでもまだ言葉を重ねない虎徹に、キースは辛抱強くただ待った。………暫くの間、無言の睨み合いのように互いを見つめあっていたが、それに終止符を打ったのは虎徹の小さな溜め息の音だった。
「あのな、俺がコールするっていう事は、面倒事に巻き込まれるって事だぞ?」
今回のようにと頭をガシガシと掻きながら下唇を尖らせて虎徹はぼやく。
運良く今回は特番を組まれるような派手派手しい話だったので社の方もお咎め無しだっただろうが、毎回そうとはいかない。本当に無駄足になる事もあるし、運が悪ければ怪我やヒーロースーツのメンテが必要になるようなケースにも遭遇するだろう。
そうした時に社の方から叱責を受けるのはスカイハイ…キース自身だ。
そんな彼らしい躊躇いを告げる虎徹に、キースは嬉し気に花浅葱を細めて笑い、しっかりと頷き理解している事を教えた。
「私はヒーローだ。君と同じ、市民を守る為に存在する」
そうして、頑さを少しばかり孕んだ、真っ直ぐにしかなれない無器用者の声が静かに響く。
しっかりと鼓膜に谺すその音を聞きながら、きゅっと一瞬、虎徹は唇を引き結ぶ。
それは瞬く程の一瞬で、すぐに唇をほころばせて仕方のない悪ガキを見遣るような笑みを浮かべて立ち上がると、虎徹はぽんとキースの肩を叩いた。
「…………頑固め。解ったよ。………約束しよう、スカイハイ。俺の手で間に合わないなら、必ずお前にコールする」
だから必ず、この街の夜空、月の昇るその時間を空に浮かび待機していて欲しい。いつ何時、自分のコールが彼に届くかなど解らない。
過酷で一方的な、とても我が侭な言葉だ。先達者としても後輩に与えるべき役割ではないと思う。
それでも空を統べる未だ歳若い王者は、それこそを求めているのだと嬉し気に破顔して、虎徹の触れていない腕を持ち上げるとビシリと敬礼をひとつ、彼に捧げた。
「ありがとう、そしてありがとう!君が頼るに値するヒーローであれるよう、私も一層努力するよ!約束しよう!!」
「まぁあれだ、無茶はすんなよ?」
朗らかに響く素直な音色に苦笑して、肩の力を抜いた虎徹が気軽に言葉を落とす。それになお瞳を輝かせ、キースは頷いた。
そうして暫くの後、シュテルンビルドではひっそりと、けれど確かな噂が流れた。
……………ヒーローTVのない夜中に発生する犯罪は、夜空から舞い降りる銀の騎士と、地上を駆ける漆黒の虎が鎮圧する。
この街は、架空ではない確かなヒーローによって守られた、地と空に愛された街なのだ、と。
真しやかに市民達は綴った。

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