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ここはヒーローとその関係者だけが入れる病棟だ。素顔が知られては支障を来す自分達の為、あるいはそれに関わるもの達の為の専門病棟。
つい先程まではヒーロー仲間がいたが、今は別室だ。きっとアニエスからの指示でも待っている事だろう。流石に満身創痍の自分のいるところで、今後の話は出来ない。それでもKOHと謳われた自分の現状に、若い世代は不安を隠しきれない様子だった。
いつもなら、そんな空気を一掃するように笑って戯けて憤りや遣る瀬無さ、鬱憤、全部をその腕に抱きとめてくれる筈の声は、響かなかった。
ほんの数分前の事だというのに、それを思い出せば苦味が口の中に広がった。こんな無様な姿にならなければ、その声はもっと豊かに響いた事だろう。それを潰してしまった事が、なんとも遣りきれなかった。
その彼の親友であるロックバイソンは、きっとまだスタジアムには辿り着いていないだろう。固唾を飲んでテレビに集中しているだろう市民達も、自分をあっさり倒したジェイクも、暫しの小休止だ。
そんな最中に訪れるものもあるまいと、聞き違いである事に納得したスカイハイは、睫毛で頷くように瞬かせ、そっと目を瞑った。
そうしたなら、再び響いたノック。今度のそれもたった一度。けれど聞き違いようもない程はっきりと、響いた。
まさかと思い、小さく息を飲んだ。そうして干涸びかけた喉を湿らせて、静かに入室を促す声をかける。
微かな躊躇いの間。それは多分、自分にとっても。………そうしてそれを振り切るようにゆっくりと、ドアが開かれた。
初めに見えたのは俯く顔を教えるように頭頂部が見え隠れしたハンティング帽。彼のトレードマークだ。目深に被っているのか、その琥珀の瞳が陰ってしまい、色を濃くしていた。それも綺麗なものだと、小さく笑んでしまう。
ついで腕、肩、身体全て。ゆっくりとベッドに寝転んだまま、見上げた。
おかげで隠したかったのだろうその表情まで見えてしまったのは、自分にとっては僥倖で、彼にとっては失敗だっただろう。すぐに誤摩化すように笑みを象った唇で、それが知れた。
「怪我……平気か?」
躊躇うように微かな間を空けて、彼が囁く。普段からは想像もつかない程それは物静かで微かだ。
それに目を瞬かす事もなく、スカイハイは笑った。
柔らかく、微笑むというに相応しい優しさに、一瞬虎徹の喉が引き攣ったようにスカイハイには思えた。
「君がなんでそんな顔をするんだい、ワイルドくん」
彼の声よりもむしろその反応にこそ戸惑い、小さく問うように眉を垂らしてしまう。そんなスカイハイに、虎徹は驚いたように目を丸めてしまう。
「へ?そんな顔?」
唐突なスカイハイの言葉に、虎徹は思わず自身の顔を片手で覆った。手のひらに感じる鼻、唇、ヒゲの感触。何も変わっていないと思うが、その表情までは想像出来るものではなかった。
「?おや、自覚がないのか、君らしいね」
そんな、泣きたそうに垂らされた眉も、世界を歪めそうに煌めく瞳も、たった1つの行為を指し示しているというのに、当人には気付かれていないらしい。
その事実に苦笑して、スカイハイは未だ痛む腕で彼を手招きした。その動きにぎこちなさなど孕ませるようなヘマはしなかったが、彼は慌てたように足を動かし駆け寄ってくれる。……ヒーローとして長年経験を積んでいる彼だ。きっと誰よりも今の自分の怪我の重さを理解しているのだろう。
それが彼を苦しめている要因でもあるのだろうと思えば、自分の不甲斐なさに唇を噛みそうだ。……彼の前で、そんな情けない顔、するつもりはないけれど。
ベッドの隣に立ち尽くす彼が、心配そうに見下ろしている。また、琥珀が揺れる。それを見上げて苦笑して、スカイハイは更に手招きをして座るように示した。同時に逆の手でリクライニングベッドを起こし、虎徹と視線を合わせる。
流石に、自身の身体を自力で支える事は、まだ難しい。苦痛に顔を歪めずに話せるかと言われれば、否だ。それもまた情けないと、つい苦笑が漏れた。
それが痛みを誤摩化す為と思ったのか、虎徹が顔を覗き込んできた。揺れる琥珀。甘く垂れたその瞳に広がる、湖面に映る自分。
目尻に溜まった水滴は、今にも欠壊しそうだ。それでもきっと彼は気付いていないのだろう。そうでなければ、こんなにもあどけなく自分に示す筈がない。
それに困ったように笑い、スカイハイはそっと虎徹の頬を片手で包んだ。両手を回せない事がもどかしい。微かに跳ねた彼の肩。同時に琥珀が光を産み落とすように、雨滴を落とした。
「ほら、解るかい?」
揺れた視界と頬を辿る水の筋、そして濡れたスカイハイの指先。
それらで現状を理解したらしい虎徹は、間抜けに目を丸めて、素っ頓狂とも言える驚きをスカイハイに教えた。
「………へ?あれ?なんで??」
瞬いた瞳、同時にぽろぽろと零れ落ちた涙。琥珀が水の中、いとけなく転がるように揺れていた。
呆然とした声と型から抜けた力に、放心状態らしい様子が見て取れる。人の事ばかりにかまけて自身を顧みない彼らしいと、スカイハイは吹き出すように笑って、濡れた彼の頬を撫でた。
「君は相変わらず涙もろい。そして泣き虫だ」
「うっせーなっ」
頬を辿る指先に戸惑いながら、それでも噛み付くように呟くその声は、少しだけ普段の彼に近かった。しょぼくれて俯くよりも、文句でも言っている方がまだいい。
そう告げるように笑みが深くなるスカイハイに、虎徹は居心地が悪そうに肩をすぼめて視線を逸らす。
涙を拭った指先でその微かな仕草に気付き、スカイハイは困ったような眉を垂らした。………残念ながら今の身体の状態では、そんな彼を真っすぐこちらを見るようにと、両肩に腕を置き顔を覗く事が出来ない。
きっと、琥珀が輝き溶けるように揺れている事だろう。月のように太陽のように、柔らかく力強く、その眼差しの見つめる未来のように揺るぎなく美しく澄んで。
それは、ヒーローとなる前からずっと、憧れた瞳だ。顔をマスクで覆っていた昔のヒーロースーツでも、決して隠す事の出来ない、彼がヒーローたる所以を思わせる、生粋の瞳。
それがこんな事で曇る事がないといい。そう祈り、スカイハイは額を合わせる事も出来ない歯痒さを噛み締めながら、そっと濡れる頬を指先で撫でた。
「………君が気に病む事は何もない。何もないんだ」
こんな風に涙に濡れる理由も、俯き項垂れる必要も、ない。ただ毅然といつものように前を見つめ、無茶とも言える姿勢のまま突き進んで、人々の笑顔の為だけに駆け抜ければいい。
自分達の中、一番ヒーローとしてあろうとする、生粋さ。KOHともてはやされながらも、自分がその核となるものを見つめ学んだのは、紛れもなく彼の中の生き様からだ。
それを自分が穢すなど、嫌だった。こんな風に自身の痛みも涙も気付かない彼だからなおの事。
呟いた言葉は、掠れる事も途切れる事もなく、普段と変わりない音色で響き、ホッとする。彼が痛みを思う欠片を零さずに済んだ。それが倒れたヒーローでありながら僅かに誇らしいなんて、滑稽な話だろうか。
そんな事を思えば、涙を拭う指先を拒まなかった彼が、微かに身じろいだ。それに反応するように眇められたスカイハイの眼差しが微かに切なく揺れる。ベッドの真っ白なシーツを見つめていた虎徹はそれに気付かなかったが、それでも指先を拒否する事なく、そのまま小さく呟いた。
「それでも、お前に間違った情報、教えちまった」
取りこぼすように落ちた言葉。それが真っ白なシーツを黒く染めそうで、慌ててスカイハイは首を振る。が、眼差しが交わされない状況でのジェスチャーに意味などない。
ぎゅっと握り締められた虎徹の膝の上の拳でそれを知り、痛み身体を押さえ込んで、なんとか身体をベッドの上、転がした。
ギリギリ、両手で虎徹の頬を包めた。流石に肩までは広げられないせいで、随分と間抜けな格好だ。起こしたベッドに片腕を埋めるようにして、男が男の頬を包んでいる。きっと端から見れば滑稽な喜劇の一コマだろう。あるいは道化師の芝居だろうか。
それでもいい。何でも、いい。ただいつだって自身を後回しにして相手の痛みを傷ばかりを思う彼に、教えてやりたい。彼が悔やむべき事などないと、それを知らしめたかった。
「それは違う。君は少し、勘違いしていないか」
滑稽でも愉快でも笑い者でも、いい。ただ真っすぐにこの眼差しを見つめ受け入れてくれるなら、心は伝わるだろう。そう祈り、彼の頬を包む手のひらに力を込める。痛めないように、けれど逸らされないように。そっと、痺れた指先で細心の注意を払った。
シーツに擦り付けるようにして振られた首を、手のひらで支えられた眼差しが見つめた。思った通りに澄んだ琥珀が、湖面の中、揺れている。きっと真夜中の湖に映る月は、こんな風に輝いている事だろう。
それを慈しむように愛おしむように見つめ、スカイハイは困ったように笑った。
「君が言っていた事を、君と同じものを見たバーナビーくんも否定しなかった。つまり、彼も同じ事を考えていた、という事だ」
彼は何も言わなかった。あの場にいて、自分が虎徹の言葉に応えてなお、否定の言葉を吐かなかった。
それを虎徹も知っている。知っていながら、彼は歳若いバディーをこの痛みを背負うものとして巻き込もうとはしなかった。………その全てを、自身が背負おうとしてしまう、きっとこれは彼の悪癖だ。
ジェイクを倒す為にも、倒したあとにも、彼らバディーが乗り越えなくてはいけない、悪癖だろう。
それを少しでも自覚してくれるといい。彼の為に。そして、彼の守るバディーの為に。
思い、囁く瞳が柔らかく眇められた。
「クールで頭脳明晰な彼がそう考えた。それならばきっと、他の誰だって同じように感じた事だろう。誰がバリアーを攻撃に転用していたと、初見で分析出来るというんだい?」
ビーム状だと見抜けても、それがバリアであったなど、普通は考えない。ましてや彼らの能力は直接相手に打撃を加える他ないものだ。それではきっと、解明される筈もなかった筈だ。
「………だが、不明確な情報で、お前は怪我を負った事は事実だ」
「それも違う」
呟く否定の言葉には、明確で短い、断言を。………彼が昔からすぐに与えてくれた、誰かの壊れそうな心を守る為の術を、彼に与える。
気付いてくれるといい。自分がこんなにも迷いなく彼を信じる事が出来るその理由に。
彼がずっと、他者に与え続けた心が故だ。そうしてそれは、巡り巡って、彼を支え守るものとなれる事を。
彼が独りで背負うものなどなにもないのだと、知ってくれればいい。
「君が情報提供する自由があるように、私にはそれを却下する自由がある。そして選ぶ自由がある」
逸らされない琥珀を映しながら、スカイハイは噛み締めるように呟く。
彼に言い聞かせると同時に、自分にもそれを言い聞かせた。………彼が自身を責めるように、自身を責めた。
「君の言葉と状況を考えて、私はそれが正しいと思った。もしも君の判断ミスだというならば、それは私の判断ミスでもある」
鏡のように、彼と同じ痛みを背負う覚悟を、そっと差し出す。揺れる琥珀に、揺れる花浅葱が灯された。それを見つめ、花浅葱が柔らかく綻ぶ。
躊躇いの琥珀が、花浅葱の覚悟を受け取るようにそっと、目蓋の裏に一瞬だけ隠された。
それがもう一度花開く事を待つように、スカイハイはそっと指先で頬を、そして睫毛と目蓋を辿るように撫でた。
「だから泣く事はない。そして笑ってくれ、ワイルドくん」
辿る指先の柔らかな動きに、瞬くようにして眼差しが帰ってきた。それにホッとしながら、スカイハイは囁きかける。
惚けたように見上げる眼差しは、年上とは思えない程にいとけなく澄んでいた。
「君がそんな暗い顔をしていては、若い子達が不安がる。余計に空気が重くなってピリピリしてしまうよ」
いつだって彼はそうした空気に敏感で、すぐに自身を笑い者にしても、不利益を被ろうとも、率先してガス抜きに努めていた。その彼が打ち沈む、それだけでどうにもヒーロー達には潤滑剤が足りなくなってしまう。
ファイヤーエンブレムが努力しても、全てをまかなえる筈もない。早く、彼にいつもの笑みを取り戻し、若い世代のあどけない笑みを咲かせてほしかった。
それがあれば、彼とて笑うのだ。いつものように優しく揺るぎなく、全てを包み抱き締めるような包容力を秘めた、慈父の笑みで。
「…………本当は、あの場にゃいない方がいいんだろうけどな」
だというのに、当の本人はそんな事露程も知らず、自嘲めいた躊躇いでそんな事を呟いた。
それに片眉をあげたスカイハイは、子供を叱るように唇を引き締めて、触れていた頬を軽く摘んで引っ張った。
「冗談になっていないな、ワイルドくん。そして心外だ!」
微かに震えた指先に力を込めても、たいした握力は発揮されない。それに気付かれないようにスカイハイは精一杯笑んで虎徹を睨み上げた。
ほんの微か痛い、子供の仕草よりなお優しい叱咤の指先に、虎徹は間抜けに眉を垂らしてベッドから起き上がれもしないKOHを見つめた。
「へ?」
てっきりその通りと頷かれる事を予測していた虎徹は取りこぼす吐息とともに漏れた声を落とした。
瞬く眼差しの先、少しだけ汗を浮かべるスカイハイが力強く変わらぬ笑みを浮かべた。
それを見つめ、琥珀が微かに見開かれた。…………こうして普通に話し手を差し伸べている彼が、どれ程の負担を横に追いやり言葉を与えてくれているのか、今更ながらに思い知る。
すぐにでも話を切り上げて退室しよう。そう決めたように腰を浮かしかけた虎徹の肩に、スカイハイは彼に近い右手を落として引き止めた。
「勘違いしてはいけない。傷付く君を放っておきたいなど、誰も思わない」
微かな握力を総動員させて、その左肩を掴む。
………伝わってほしいと、願うように乞うように。ほんの少しの強引さと、ほだされる程の健気さで。
指先にこもりもしない力が、それでも肩を押さえ込めている。その理由が人に甘い虎徹に付け込んでいるようで、スカイハイは僅かに口角を持ち上げた。
もっと上手に、彼のように相手を笑わせ心を軽やかに出来ればいいのに。どうにも自分ではうまく出来ない事がもどかしい。
誰もが、彼に慰められた事がある。肩を落とし地面しか映さない眼差しを、空高く美しく澄む青を照らし、泣き濡れた雨のあと、鮮やかに掛けられた虹を掴むように。
いつだって、彼が架け橋だった。誰かと誰か。あるいは過去と現在と未来。解(ほど)け綻び壊れそうなその時に、何の気もなくふらりと現れ何でもないようにそれらを修繕していなくなる。まるでおとぎ話の小人のように。
その小人が指を痛め修繕出来なくなった架け橋を、誰も気に掛けないなんて、思わないでほしい。
どうせ自分の価値など考えてもいない彼だから、伝えられるその時に伝えなくては、一生気付かないくらい、鈍感だ。………確か同じような事を彼にも言われた気がする過去に、小さくスカイハイが笑んだ。
「君は傷付いた人間を放って置かない人間だからね。だが、君が拒んでいるのでは、声を掛けられない」
弧を描く唇。柔らかく優しく、滲む脂汗など気付かせない程、鮮やかに。
ただ笑みを与えたいと願うように、祈るその声を、虎徹は泣きそうに揺れる瞳で見つめた。
………綺麗な、祈りだ。誰かの為、私心などなく捧げられる、優しく透き通った声。
「戒めと痛みを求めてはいけないよ、ワイルドくん。そんなものよりも笑顔と慈しみの方がずっと君には似合っている」
告げる声の柔らかさに、困ったように虎徹が笑う。まだそれはどこか泣き笑うようで痛ましいけれど、琥珀にそっと光が灯る。
それを見据え、嬉しそうにスカイハイが目を細めた。花浅葱が咲き誇れば、琥珀もつられるように綻んだ。
「なんだそりゃ、こんなおっさんにそんなものが似合うわきゃないだろ?」
シニカルな笑みを浮かべてまだ自身の頬を包む左手をそっと覆い、引き離す。……こうして持ち上げているだけの行為でさえ、きっと今の彼には相当の労力と苦痛を伴う事だろう。そんな片鱗すら見せない彼の胆力の強さを見据え、琥珀は覚悟を決めるようにそっと目蓋を落とす。
ほんの数瞬の、沈黙。それを呼気とともに飲み込み、スカイハイはシーツの上に落とされた自身の手のひらを握り締める虎徹の無骨な手のひらを見下ろした。
浅黒く焼けてうっすらと見え隠れする傷の走る、戦うものの手のひら。……守るものの、手のひらだ。
「………いいや。私はそう思う。そしてみんなも思っている」
見下ろしたその手のひらを包む力もないけれど、小さく振った首とそれに揺れる毛先で、それを受理してほしかった。
彼がバディーである青年と不協和音を奏でている事は誰もが解っている。解っていて、それにも口を出さないのは、ひとえに信頼からだ。
彼ならば必ず、相手の心をほぐし包んで、まっさらなまま世界を見つめる眼差しを思い出させる事だろう。自分達後輩ヒーローに与えてくれたように、必ず。
少しばかり今回は事情が複雑で相手も頑で時間がかかるかもしれないけれど、それでもきっと、最後に彼が掴むのは光だ。
………雨に濡れた魂に与えられるのは、日差しとともに輝く七色のプリズムと、決まっているのだから。
「悩む事は悪くない。悲しむ事もあるだろう」
今自分の中、巣食う悔恨と痛みのように、人は生きていれば必ず思い悩み俯く事がある。それがあってはいけないなど、言いはしない。
ヒーローであろうと人間だ。偶像崇拝される必要はないだろう。そして、それは自分達ヒーローの仲間に対してすらヒーローたろうとする彼にも、当てはめられるのだ。
潔く純潔な命だ。痛みも汚れも……おそらくは常闇すらも、知っているだろう。愛しい人を救えなかった、寂しいヒーロー。
それでも彼が見つめるものが輝いている事だけは、認めてほしい。その煌めきに希望を見据え進む自分達の為にも。
………結局は彼の為と言いながら自分達の為にしかならない利己的な祈りに、一瞬唇を噛み締めそうになる。必死にそれを押さえ込み、スカイハイは微笑んだ。柔らかく、天使の歌声を思わせるように優しく。
「それでもワイルドくん。必ず最後には笑う為に、嘆いておくれ。俯いた君を見ている事の方が、こんな怪我よりも余程辛い」
彼の為だけを思い綴れない言葉は寂しいけれど、彼を思い祈る思いに嘘はない。
悲し気に垂らされた凛々しい眉の下、花浅葱が揺れる。
「………スカイハイ……」
飲み込むように吸い込まれる自分のヒーロー名に柔らかく唇を綻ばせた。
彼が痛む必要はない。背負うべきは自分が自分で。そして彼は、これからなお過酷な現場で戦う宿命を背負ったままだ。………何も、それ以上の何も背負い立つ事はない。
「ほら、みんなが待っている。情けないけれど、今この街の命運は君達に託すほかない。また、笑顔でここにやって来てくれないか」
そう告げるスカイハイの言葉に、ほんの僅か切なく細められた瞳。同時にそっと落ちた溜め息。
「………………ああ、そうするよ」
綴られたのは、静かな音色だった。受け止め受け入れ、そうして飲み込み糧と変えた、ヒーローの声音。
彼の、声だ。彼が携え彼だけが響かせる事の出来る音。
「どう転がるか、まだ解りゃしないけどな」
心地よくそれに耳を傾け、彼の左肩に乗せたままの手のひらをするりと落としてシーツの上、自分の右手を包むその手の甲に重ねた。
円陣を組む事など、ヒーローにはない。互いが互いに仲間でありながらライバルだ。足の引っ張り合いなどという無様な真似はしないけれど、共同戦線を張る事はそうない。
それでも、ともに自分も戦うと教えるように、重ねられた手のひら。既に破れた身でも、思いを重ね差し出しその背を支える事くらいは、出来る。
その思いに気付いてくれた琥珀が、優しく細められた。
「もうちょい、おじさんはおじさんらしく、足掻いてみるかね」
囁かれる軽口。………そう簡単には済まないだろう現実の中、それでも対面する相手の笑顔を咲かせようと笑う本物のヒーロー。
それに同じように笑んで、スカイハイは頷いた。
「それがいい。そして、君らしい」
「なんだよ、そりゃ」
クスリと笑うその声に、拗ねたような虎徹の片眉が上がる。ようやく彼らしい表情が零れ始めた。
それを後押しするように、スカイハイが笑みを深め、いつだか漏らした新人ヒーローの愚痴めいた羨望の声を思い出す。
「何があろうと諦めない、底なしのお人好しの熱血漢。………以前、バーナビーくんが漏らしていたよ」
「…………………バニーちゃんが?」
呟くその瞳の奥に、輝いた欠片を見出して、スカイハイは小さく笑んだ。まだ彼らの間に入った亀裂は残ったままらしい。………いっそ、そこに付け込めればいいのに。
あんなにもひたむきに彼の背を見つめる癖に、対峙すれば憎まれ口を叩いてしまう新人ヒーローは、まるで親に甘える子供のように、支え合うべきバディーに我が侭ばかりだ。早く、その違いを知ればいいのに、彼らは彼らのスタイルがあるが故に、なかなか軌道修正がされない。
隙はきっと沢山あるだろう。たった今、目の前に転がっているように、いつだって。
「早く、仲直りしたまえ。どちらも辛い顔をする喧嘩など、喧嘩にすらならない」
それでも、そんな事を望んでいない相手に、痛みの音を捧げるなど出来る筈もなく、スカイハイは苦笑とともに視線を逸らした虎徹に囁きかけた。
………いうなれば彼らヒーローコンビは、まだ引き締められていない縫い糸で繋がった片割れ同士だ。緩み離れて見えながら、糸と糸によってしっかりと固定され、一定以上の距離を離れられない。
それが縫い合わされ固定され、そうして作り上げられた袋が広がれば、どれ程の笑顔を包み守る事だろう。
羨ましい程の、それは鮮やかな未来の姿だ。
それを思い、スカイハイはその未来像の中、笑い合う一対のヒーローを見つめた。その姿があるならば平和なのだと、そう信じられる姿を。
「笑い合う為に、私達は生きていて、その笑顔を守る為に、戦っているんだろう、ワイルドタイガー」
市民を。………かけがえのない本物のヒーローたる、君を。
笑顔に染めて未来を見つめる眼差しを煌めかせる、その為に。戦い、傷付き、這いつくばって。それでも諦められもせずに立ち上がり立ち向かう。
泥臭くてスマートではない。それでも、それこそが一番、最前線にいる自分達を勇気づけ鼓舞してきた。
その姿を望む花浅葱の瞬きに、苦笑するように琥珀は笑い、照れくさそうにハンチング帽で隠されてしまった。
「そりゃそうだ。………悪かったな、スカイハイ」
柄にもなく落ち込んで鬱(ふさ)いで、誰かにそれを糾弾してもらいたがるなんて、逃げもいいところだ。
天然の癖に妙なところでは鋭い彼に感謝した。きっと、彼でなければ、こんな風に気持ちを軽やかにして時間を過ごすなどなかっただろう。
ヒーロー達は優しく、その癖不器用でなかなか厄介な生き物だ。今の自分のように叱責を望んで目の前に立てば、罵倒する事で叱咤激励と変える事だろう。
それを望む弱さは、戦う為に前を向く意思に変わりはしなかった。風のような彼だからこそ、気付き与えてくれた優しいいたわり。
「結局、慰められちまった」
「では、また今度君が来たら私が慰めてもらおう。待っているよ」
そっと、重ねていた手のひらをシーツの上、落とした。そろそろ身体を起こしているのも限界だ。彼に、これ以上の醜態は見せたくはなかった。
離れたぬくもりに退室時間が来た事を知り、虎徹は腰を上げる。立ち上がったその眼差しは、もう床を見つめてはいなかった。真っすぐに、相手を見据え、全てを見渡している澄んだ眼差しがそこにはある。
それを誇らしく見上げて、スカイハイはシーツの上で手のひらを握り締めた。ガッツポーズもとれないけれど、彼らに託す全てが成功する事を願っている。
「ははっ、じゃあさくっとこの街もバニーちゃんも救ってこないとな」
………待っている。彼が元気にここにくる事を。
あどけなく、その年齢すら疑わせるような笑顔でドアを開け、うるさいくらいにその声を響かせて。
にぎやかになる病室を、待っている。そう、揺るぎなく見つめた花浅葱を、琥珀は怯みもせずにしっかりと受け止めた。
「君にしか出来ない事もある。だが、無茶はするな。あの男が危険である事に変わりはない」
「解っているさ。まあ、そこから俺の活躍でも見ていてくれよ」
パチリと落とされたウインク。戯けたピエロの仕草に似たそれは、多分この先に暗雲を今だけは忘れさせる為の、彼の配慮だろう。
KOHたるスカイハイがあっさりと破れた現実を前に、怯まないものはいない。その心の恐怖を皆に負わせた負い目は、誰よりもスカイハイ自身が承知していた。
だからこその、軽快な声と表情。何も気に病まず怪我を癒してほしいと、KOHではなく、スカイハイ個人を慰撫する眼差し。
それを見つめ、スカイハイはゆっくりと頷いた。
「ああ、楽しみにしているよ」
生半可な事では成せない現実を知りながら、それでもスカイハイはそう告げた。
きっと、傷をまた負うだろう。ジェイクはNEXTでありながらどこか自分達とも違う。格などという話ですらない、不気味な何かがあった。
たとえバリアーを保持していても、自分の本気の攻撃全てを遮断し、ヒールースーツを物ともせずに破壊する威力を持っていた。
その上、攻撃の全てが当たらない。バリアーを持とうと、永続的に発動出来る能力などある筈がないのに、緩急を持ち合わせた攻撃ですら、当たらなかった。
その理由が解らない限り、ジェイクを倒す事は出来ないだろう。少しでも長く、多く、ジェイクの動きを引き出し情報を得なくてはいけない。………自分が倒れたあと、それを背負い次に託していくのは、きっとこの男だろう。
倒せるならば、己の手で倒すだろう、けれど。
きっと、まだ足りない事だろう。足りない先に、彼のバディが気付けばいい。………独りで戦うのでは、限界が必ずくるという事を。
彼らは二人いて初めて無限を見出せる、そんなコンビだ。少なくとも、自分はそれを信じている。
翻る虎徹の手のひら。いつものように気軽に、戯けて、なんて事はないように晒される背中。
…………その広く逞しい背に背負う多くのものを、出来る事なら歳若い世代が知るといい。その背が守り抜こうと決め向かう先がなんであるか、その指針を見つめるといい。
それは、ヒーロたるものの、掲げるものだ。
時代遅れでもナンセンスでもない。
その心がなければ、この身に宿る力はいつだってジェイクのように転がる可能性を秘めている。
………早く、それに気付くといい。否、認めると、いい。
その心に、プリズムが降ればいい、と。
今もまだ孤独の中、自らぬくもりを隔絶しようと躍起になっている新人ヒーローを、思った。