来客:アントニオ・ロペス
「お、暇人、来たな!」
顔を覗かせると同時に虎徹の奴が言った。それについ渋い顔をしてしまう。……暇なわけじゃない。ちゃんと俺だって仕事しているんだからな!
「………お前、仮にも客だぞ」
憮然と言い返してみれば、カウンターにもたれ掛かった奴は楽しそうに笑った。………まんまガキ大将の顔で。
「何言ってやがる、暇がなきゃこねぇ癖に。ま、真っ当な飯食う気になるのはいい事だ」
「まるで俺がまともなもん食わねぇみたいな言い方するな!食ってるよ!」
軽口なんざいつもの事だ。聞き流せばいいのも解っているが、つい条件反射のように言い返しちまう俺も悪い事は悪い。腐れ縁なんだ、こんなところも含めてな。
「肉が主食でよく言うぜ。で。今日は?」
そんな俺にまるで懲りない顔で笑ったままの虎徹はやっぱりニヤリと目だけで笑ってみせた。100%こっちが言い訳出来ないと解っている。そんな顔だ。
「…………任せる」
言われた言葉は事実なので言い返せない。仕方なく口籠って、結局いつも通りの注文をした。クソ、毎度の事ながら分が悪すぎる。
虎徹も解っているのか、クッと喉奥で楽しそうに笑うだけで何も言わない。そのままキッチンを顧みて、首を傾げながら今日のメニューを吟味し始めた。
「へいへい。ん〜、何にすっかな、そういや菜の花のおひたしあるから入れるぞ。折角だし山菜の天ぷら作るか」
「おう。あ、あとこれ、やる」
菜の花やら山菜やら、自分じゃまず食べないし頼まない。その辺りも解っている奴は、食べていないだろうものをチョイスしてくれる。
ついでに、和の基本だとか言って、その季節の旬物を選ぶ。よく解らないが、確かにこいつの出す弁当はいつもうまいのだから、きっとそのおかげもあるんだろうと思う。
そんな感謝を口にするのは苦手なんだ。だからこの間の軽口ついでに言い合った物を適当な仕草で差し出した。
「なんだ?」
案の定忘れている奴はキョトンと目を丸めて首を傾げてやがる。まあ、解っちゃいたがな。
「この間言ってただろ、エプロンだ」
「マジで作ったのかよ!真面目な奴だな〜。どれどれ……」
教えてやれば驚いたように目を真ん丸にしやがった。これでちょっとは溜飲が下がったかな。
いそいそとカウンターに置いた紙袋を取り上げ、虎徹が開けた。中から出てきたのは言った通りエプロンだ。背中がクロスタイプの、丈が長めの物。
細いこの男は紐タイプだと肩からずり落ちる事があるから使わない。腰回りがダボつくからと腰で絞るタイプの、ギャルソンエプロンを使用しているが、それだと当然上半身が汚れやすいとぼやいていたのも覚えている。
だからその辺りを考慮して、肩ひもは落ちないように幅を広げてクロスに、細身に合わせた身丈に、好みで調整出来るように腰は紐で縛れるようにした。
満更でもないのか、目が嬉しそうに輝いてる。こいつは目に意外と感情が浮かぶんだ。日系でも目の色が髪みたいに黒くねぇおかげかもない。解りやすくて有り難い話だ。
「へ〜、白地に黄緑のアクセント。お前にしちゃ上出来じゃん」
「生地は職場の奴らが選んだんだよ。クッキーのお礼だとよ」
クッキーを配るついでに、こいつにエプロン作るかとぼやいたら、目を輝かせて手伝うと群がったチビ達を思い出す。………ついでに、その流れに乗り損ねて隅でしゅんとしていた男二人も。
初めは青地に黄色のアクセントだったんだがな。流石にそれはバレルからやめろと止めた。………自分のイメージカラーそのまま使う奴があるか。
まあ俺から渡された時点でヒーロー関係者ってバレるわけだが、そこは考えないでおく。
で、そんな話し合いの結果、選んだのは結局似たようなものだった。ブルーローズの氷の白と、ドラゴンキッドの髪の色の緑。………まあこの男は鈍感だから気づかねぇだろうけど。
「そっか、礼言っといてくれな。明日っから使わせてもらうわ」
満足そうにエプロンの出来を確かめた虎徹は、綺麗にそれを畳んでまた袋にしまった。
すぐに身に付けないのは照れるからだろう。こいつはそんなところばかりはシャイだ。それでもそんなこいつが使うと明言するのだから、気に入ったのだろう。作った甲斐のある反応だった。
「おう、そいつらもここ来るから、そうしてくれると喜ぶ」
「へ?他のヒーローも来てんの??」
「…………やっぱり知らなかったか」
目を丸める虎徹に、こっちが苦笑する。俺についてきたネイサン、犬の散歩で勝手に見つけたスカイハイ。トレーニングついでに発見したホァンと、それに教えられて連れて来られた折紙にブルーローズ。そんな奴らとはまた別口で、随分顔馴染みになっているバーナビー。
現在いるヒーローは全員常連だ。きっと虎徹も顔を知っているだろう。何せあいつらが話題にするのだから、確実だ。が、当人はまったく理解していないらしい。流石の安定した鈍さだ。
「うん。でも、有り難いな。俺の飯食って、頑張ってるヒーローがいるってのは」
「目の前にもいるだろうが」
「学生時代からの腐れ縁は数に含まん」
天ぷらを揚げる為にカウンターから離れた虎徹は、振り返り様にベッと舌を出して……無邪気に笑う。その目元が優しい。口は悪いが、結局こいつはお人好しだ。昔からずっと、変わる事無く。
「ったく、素直じゃねぇ奴だな」
「お互い様だよ」
含み笑う虎徹に、それもそうかと小さく笑んで、俺もカウンターに背中を預けて空を見上げた。
ここに来ると、どうにも長閑な平和しか考えつかない。それがこいつの作ってる店の雰囲気なんだろうな。
だからつい、疲れたらみんな来るんだ。
他愛無い事、当たり前の事、顧みない事、全部それが自分を満たして包んでる。
………そんな、普段なら気にも掛けない平和と自由の恩恵を噛み締めた。
来客:ユーリ・ペトロフ
店に辿り着くと、既に先客がいた。まだ小さな子供だ。辺りを見回したが、親らしい人物はいない。迷子だろうか?
いや、流石に迷子はこんな風にワクワクしながら立ってはいないだろう。おそらくは…否、確実に彼の店の客だ。
そんな事を考えながら、女の子をよけてヒョコリと弁当屋の中を覗く。注文が終わっているらしく、彼は背を向けて弁当を作っていた。
「こんにちは、大丈夫ですか?」
「おっと、いらっしゃい!平気っすよ〜。今日は何にします?」
声を掛けると林檎を持った彼がこちらに顔を向けた。成る程、普段ならば何か話しながら準備をする筈なのにと思ったが、どうやらこの女の子のおまけに林檎を剥いていたらしい。
中断させてしまったかと思い、急ぎ注文をと思ったが、今日は特にメニューを決めていなかった。その為、以前食べたものを口にしたのは自然な流れだ。
「三食弁当を……、?どうか、されましたか?」
が、そういったと同時に彼と、それから隣に立っていた女の子が一緒に楽し気に笑って顔を見合わせた。
何事かと目を丸めてみれば、彼はニコリと優し気に笑って子供と目を回せた。それから私に顔を向け、その理由を教えてくれる。
「いや、ほらそこの子、その子も三食弁当。な〜?」
な♪と彼が言えば、女の子も嬉し気に笑ってうん!と少し控え目ながらもしっかりと頷き言った。
それに少し和み、私も唇をほころばせる。
「そうですか、一緒ですね」
思ったよりは優し気な声が出ただろうか。女の子は怖がらなかったのできっと大丈夫だっただろう。仕事柄あまり優しくするという事も、子供に関わる事もない為、少々こうした状況は不得手だ。
そんな私の都合を知るわけではないだろうが、彼はニコニコ嬉し気に子供を見て声をかけている。きっと子供が好きなのだろう。彼らしいと言えば彼らしい話だ。
「いっぺんに作っちまうから、ちーと待っててな。すんませんが、ちょっといつもより時間掛かるかもしれないです」
「構いません」
前半を女の子に、後半を私に顔を向けていいながら、彼はまたキッチンに立った。流石に今日はあまり会話がない。
仕方なく静かに立ったまま、その小さな女の子と一緒に待っていた。とはいえ、和気あいあいといく筈もなく、お互いに無言ではあったけれど。
だが先程少しだけ距離を縮めたおかげか、たまにお互いをちらりと見て小さく笑い合う、その程度のコミュニケーションは出来た。……多分。
そう考えてみると、先程、私がくるまでニコニコとしていた子供と彼は仲がいいのだろうか。小さな子だし、近所の子供かもしれない。
程なくして彼は二つの弁当が入った袋を女の子に差し出した。2、3何か話をして、しぃっと人差し指を唇に乗せて笑い、女の子の口の中に何か……おそらくはチョコレートを放り込んでいた。
途端ほころぶ女の子の顔。嬉しそうに手を振って、彼女には少々大きく見える袋を掲げて帰って行った。
その後ろ姿を何故か彼と二人並んで眺めていた。……いや、彼がニコニコ手を振っていて、私の弁当が出来上がらないからに他ならないが。
この店に来ると、大抵ああして嬉しそうに帰っていく。おまけがあるからとか、そんな理由でもない。ただ…手の中にある弁当の香り、差し出された笑顔、言葉、心。そんなものが、なんとなく人をあたためるのだろう。
「近所の子ですか?」
知らず言葉を繋げるように問い掛けてしまった。いらない詮索だっただろうか。
「多分、そーです」
が、彼はまるで気にした様子もなく弁当をゴムで止めながら笑って言った。とても曖昧な言葉を。
「………多分?」
「俺の事知ってるお客さんは多いですけど、俺がお客さんの家や素性知っているのは稀なんですよ」
成る程。当然と言えば当然だ。町内会でもない限り、そう把握している筈もない。商店街ですらないのだから当然だ。
「さっきの子は、2回目かな?ひとりで買い物の練習中みたいっすよ」
その前は母親と買いに来ていた。そんな事をもらしながらテキパキと彼は私の分の弁当を袋に入れた。
「確かにこの辺りなら車も少ないし、試すにはいいかもしれませんね」
「ええ。……さて、お待たせしました、出来上がりでっす」
「ありがとうございます」
そうして出来上がった弁当とともに他愛無い会話でほぐれた心とともにジャスティスタワーへと戻った。
が。問題は、この後に起こった。
割り当てられた室内の中、紅茶を淹れていざ弁当の蓋を開け、思わず絶句する。………そこには確かに三食弁当があった。あった、が。
卵でひよこが型抜きされ、それに寄り添うようにピンクのでんぷんでハートが作られている。足元は草原にでも見立てているのか、刻んだほうれん草だ。ひよことハートの周囲は、それぞれそぼろと卵で色分けされていて、偏りはない。
その上、ウインナーは何故か8本足…これはタコを模している筈だ。それだけに飽き足らず、おまけのように添えられている林檎は兎の形にカットされている。
これは何だろうか。前回彼が三食弁当を押し付けた時は普通だった筈だ。そもそも私はこんな風に生き物に見立てたおかずをあの店で見た記憶がない。
………混乱しながらも考え、理解する。
これは、あの小さな女の子の為の、弁当だ。同じ弁当を3つ作る際、彼はどうやら1つを普通にするという単純な基本を忘れて、同じものを作ってしまったらしい。
「まったく…器用な割に、ドジな話だ」
こんな風に色とりどり、子供がまた買い物に行きたくなるような可愛い弁当を作る癖に、抜けている。そう小さく笑い、箸を取り上げた。
今日一日くらいは、こんな子供の頃に食べる弁当を口にしても罰は当たらない。
食べた覚えもないし、和食には馴染みがない。それなのに、噛み締め飲み込めば脳裏に浮かぶ、過ぎ去りし日の鮮やかな記憶達。………同じ弁当を今頃食べているだろう、あの小さな背中の女の子程の頃の記憶。
いつかあの女の子も、大人になるだろう。彼女の記憶の中でも、こうしてこの味により浮かぶものが出来るのだろうか。
………あの弁当屋の味のまま、優しく穏やかな記憶が積み重なればいい。
小さく思い、パクリ、兎の林檎に齧りついた。
来客:バーナビー・ブルックスJr.
その日、かなり僕は荒れていた。
ようやく辿り着いたウロボロスのタトゥーを持つ男。もっと情報を引き出せないかと面会を申し入れては却下される間に、死亡した事を教えられたからだ。
手がかりが途絶えてしまった。また、始まりからだ。
明快な証拠や情報はなかなか手には入らない。……ポンコツな自分の記憶が恨めしかった。
悔しくて歯痒くて、それを沈める為のように動き回って。それでも収穫などなく、降りかかる雨も鬱陶しくて、路地裏にたたずみ、暗く虚空を睨んだまま立ち尽くしていた。
「ありゃ、なんだお前、ボロボロだぞ?」
暫くそうしていたら、唐突にそんな声が響いた。人がいたのか。気にもしなかった。
「……は?」
邪魔だと暗に示すように邪険な声で、睨むように背後を見遣る。
いたのは東洋系の、年上だろう男だった。
「てか雨。なに濡れて黄昏てんだ。こっち来いよ」
彼は屈託もなく笑って言うと、躊躇いもせずに近付き、腕を掴んできた。雨で冷えた僕には熱い体温だ。顔を顰めた。
「ちょっ…、なんなんですかっ」
振りほどこうともがくのに、のらりくらり、彼の腕は柔軟にそれに対応して外れない。そんなに強く捕まれた感じはしないのに、なんなんだこのおじさんはっ!
「ほらあそこ、俺の店。タオル貸してやるからとりあえず雨宿りしてけって」
睨み付けている僕の事などお構いなしにそのおじさんはそう言って、半ば引き摺るように強引に、その店…ワイルドタイガーに連れていった。
とりあえず拭けとタオルを投げられ、渋々それに従った。大分頭も冷えてきて、あのまま雨に濡れていれば明日からの活動に支障が出ると判断したからだ。このおじさんのお節介が嬉しい訳じゃない。
それはきっと相手にも伝わっている筈だ。何せ僕は一言もしゃべっていないのだから。
だと言うのに、なんだろうか、このテーブルにあるものは。そう疑問を持つ事も嫌だと顔に乗せて彼を見遣れば、ニコリとお人好しな笑顔が返された。
「お前さ、飯、食ってないだろ」
だから。そう言うように示された指の先、あたたかそうな湯気に包まれたおにぎり、味噌汁、それから、食べた事はないけど、漬け物。
「……食べています」
顔が引き攣るのを押さえる自信がなかった。眼鏡を指で押して位置を直し、なんとか平常を保とうとした。
「いーや、食ってないね!てか、まだ俺も食ってないんだわ。付き合え」
……保てないかもしれない。なんなんだこのお節介なおじさんは。人の事なんて放っておいて欲しいのに。
それでもニコニコ笑ってさっさと椅子に座って。早く早くと当たり前に視線で誘う。……ついでに、食べなければ帰さないと優しそうな頑固な目がいっていた。
「勝手な人だな…」
溜め息を吐き、不本意である事を教えるようように呟いて、乱暴に椅子を掴むとそこに座った。
簡単な…むしろ質素な食事だ。普段食べるものの方がよほど豪勢だろう。
それでもと仕方なく口に含んだおにぎり。ちらりこちらを見て、彼が笑った気がした。
不意に浮かぶ、食卓の温もり。忙しくても父も母も出来るだけ一緒にご飯を食べてくれた。
今もマーベリックさんと食卓を囲む事はあるけれど、全寮制の学校にいる身には当たり前ではなく、むしろ珍しい光景だ。
寮でも一目置かれ、常に自分を演じているのだから、気を抜いての食事なんて、あの幼い日々だけだ。
……思った瞬間、頬が濡れていた。
「………っ……」
噛み締めた唇。彼に気付かれたくなかった。けれどそれは不可能だ。解っている。目の前にいるのだから。
「な?あったかいもん食ってると、少しは気が楽になるだろ」
彼は静かにそんな事を言った。僕はまた、呻くように返した。
「楽になりたい訳じゃ、ない……っ」
僕が抱えて、壊さず無くさず抱え続けているものは、いつだって痛くて悲しくて苦しくて自分を打ちのめす。でも、それをなくしてしまいたいなんて思わない。思える筈がない。
当たり前じゃないか。………僕を愛してくれた人達の事を、全部忘れろと言っているようなものだ。忘れない。忘れたくない、絶対に!
だから、楽になりたいわけじゃない。抱えたまま、立ち続け進み続ける強さが欲しいだけだ。
そう涙の膜の先を睨んだら、ふわり、彼は柔らかく笑った……気がした。視界がぼやけてちゃんとなんて見れやしなかったから、解らないけど。
元々目も悪いけど、眼鏡も邪魔だ。取り上げて無理矢理視界を良好にするように擦り上げた。一回じゃ足りなくて、二度三度と繰り返すが、それでも視界はぼやけたままだ。情けない。
「そっか。あー、目、擦るなよ。タオル使えって」
ついっと彼は腰をあげ、子供にでもするような仕草で僕の肩に掛かったままのタオルを摘まみ上げて、人の目元に押し当てた。
少し、ヒリヒリとした。でも、それは自分で擦ったせいだ。押しあてられたタオルはそのままに、彼の指先だけが撫でるように動いた。なんだか、母さんを思い出す。……こんなごつい指先はしていなかったけれど、頭を撫でてくれた優しさに、少しだけ似ていた。
懐かしさに拒む声を忘れて大人しくそれを受け入れていれば、パチリと目を瞬いた彼が小さく笑う。今度は、何となく解った。眼鏡がないから正確ではないけれど。
「ありゃりゃ、目が真っ赤だぞ。まるで兎だな、バニーちゃん?」
………本当に、子供扱いだ。僕にはバーナビー・ブルックスJr.という名前があります!!
「誰がバニーですかっ」
「お前の名前知らないし。ッダ!擦んなっての!」
怒鳴ってベシリと彼の手を退けたあと、思う存分目元を拳で擦ってやった。痛いのは自分だけれど、この人はきっと慌てるだろうと思っての行動だ。……考えてみれば、随分幼稚な当てつけだ。甘えだったと、この時は思いもしなかったけれど。
「うるさいなっ!邪魔です、食べづらいっ」
案の定伸びた腕を邪険に払い、湯気を頼りに掴んだ味噌汁の椀に触れた。
「あ~もう、我が儘め。あ、こら、味噌汁は冷ましながら飲め、火傷すんぞ」
慣れてない癖にとあっさり言い当てられた。当然と言えば当然だ。そして事実、口を付けた椀は、まだ口に含まなくても湯気だけで熱い事を教えた。……まだ、少しばかり僕が飲むには熱すぎる。
彼は平然と飲んでいたのに。そう思い、何となく負けた気がして、彼をギロッと睨みつけた。
「適温で出してくださいっ」
「解った解った!から、大人しく食えって。そう噛みつくな。何もしねぇよ」
怒鳴ったついでにダンッとテーブルに椀を置こうと思って、それより早く、彼の手がそれを止めた。……考えてみればそんな真似をすれば熱いと味噌汁が手にかかるし零れる。少々短絡的だった。
じっと手元を見下ろして唇を引き結んで、少しだけ反省していると、ポンッと、彼が手を解きそのまま気軽な調子で僕の額を叩いて…撫でるみたいにさらり、 指を滑らせた。雨に濡れたせいで滑りが悪いけれど、痛まないようにゆっくりとしたそれに、何となく、彼は子供に関わる事に慣れた人だと思った。
「ただ、俺も誰かと飯、食いたくなっただけ。悪いな、付き合わせて」
そうしたら、彼はそう言って………笑った。解る。見えないけど、声が寂しそうで、指先は優しかった。
僕は返す言葉なんて知らなくて。ギュッと唇を噛み締めて、彼が作ったおにぎりを一口、また口にした。
「…………」
ぽろぽろ、零れる涙。ぽろぽろ、零れる心。それと一緒に何の変哲もないおにぎりを噛み締めて、飲み込んだ。
彼は静かに笑んだまま、俯く僕にそれ以上何を言うでもなく、ただ一緒にご飯を食べていた。
結局。おにぎりも味噌汁も漬け物も、最後に出されたお茶まで全部飲みきっていた。
……美味しかったんだ。純粋に。
ただそこに人がいて、何をいうでもなく、一緒に食事をしていた。それだけなのに。
クタクタに疲れていて、久しぶりに満腹で。……気付けば、僕は眠ってしまったらしい。
翌朝ベッドから転がり落ちる勢いで起きて、ソファに眠る虎徹さんに怒ったのは、不快だったからじゃない。
……隠したかったんだ。初めて会った相手の傍で寝入るほど緊張を解いていた自分を。
あの頃は何もかも、頑なに受け入れずにいたから余計に。
虎徹さんは別に怒りもしないで、朝御飯を作ってくれた。
あれから、たまにこの店に来た。
初めは月に一度程度。それから、数回。週に一度、二度…今ではほとんど毎日だ。
今日もやっぱり僕の足は彼の店を目指していた。
店主:鏑木・T・虎徹
お、いらっしゃい!今日は何にする?おう、日替わりな。ちょっと待っててくれよ〜。
ん?どうした?……カード?は、すまん、うち現金専門。ハハッ、気にすんなって。また明日来た時一緒に払ってくれりゃいいって。
そういや、カードで大丈夫かって聞かれたの2回目だわ。いや、一回か。あんときゃ聞かれもしなかったしなぁ。
そうそう、いたんだよ。その人現金持ち歩かないらしくてさ。普通にカード置かれて、俺も目が点で。お互い?って固まっちゃってんの。
で、俺が「うちカード出来ないんですが……」って言ったら、びっくりって顔されちった。うん。なんかその人、買い物全部カードで出来るって思ってたみたいだな。
仕方がないから現金をって言って一度職場戻るみたいな事言い出したからさ、そんな事したら弁当冷めちまうし。いいから食ったあとにでも持ってくるか、明日でいいって弁当渡したんだよな。
え?………あ、そっか、そういやそのままとんずらって可能性もあったんだな。忘れてた。でもちゃんと来たぞ。その日の夜に。
なんかおかかが気に入ったっぽかったなー。ノリ弁はこれが飯に付いてるんですよ〜って言ったら、次にノリ弁買っていったから。
ああ、うちのおかか、自家製だしな♪ほら、和食がメインだろ?出汁とる量も多いから、それのリサイクル。味付けはちょい薄めだけど、うちは飯の量も少ないからあんま濃いとおかずの味が解らなくなっちまうし。
ん?そうだなー、うちでだと、デラックスが一番腹持ちいいだろ。うん、ほとんど全種、入ってるからな。ミニ版だけど。やっぱ買うのも男のが多いな〜。あ!でも、いたいた、ちっこい女の子なんだけど、デラックスの大盛り平らげるらしいぞ。
おう♪美味しかった〜!ってまた来てくれると、やっぱ嬉しいな。デラックス初めに作ったのも、その子が好きな奴の盛り合わせ、作ってみたのがきかけだっ たしな。ん?いや、多分アスリート?なのかな??ほらあれだ、カンフー映画のつなぎ?みたいなやつ着てんだよ。いつも。動きも機敏だし、なんか習ってると 思うんだよな。
そういやその子が友達にうち紹介してくれてな、そっちの子もよく来るよ。……ん?ハハッ、期待してっから、しっかり美味いって言ってくれよ?
そうそう、その子な。年頃だからか、ちょっとツンケンしてるけど、真面目ないい子だよ。ん?なんでって…働いているっぽいからな。バイトだろうけど。
接客業だから体調管理と、あと喉。声出るように大事にしてるな。ん?解るだろ。だって話聞いてると結構バランスよく飯食うようにしてるし。うちでメ ニュー選ぶのも、計算してるっぽいぞ。喉の方は………まあ、勘って事で!ほんとほんと!女子高生の事ジロジロ見てたら訴えられちゃうよ、おじさん!
ん?お、犬か?……そうだな、ほらあそこの公園。あそこにさ、ドッグランがあるんだよ。だからこの辺り犬の散歩道なんだ。悪いな、たまにちょっと唸り合っちまうんだ。勘弁してやって?
ハハッ、好きだぞ〜。可愛いし。飼えないけどさ、流石に。
ああ、でも、そのドッグランに行く途中に寄ってく常連がいるわ。でっかい犬連れてんの。でもさ…ここだけの話し、犬って飼うと犬っぽくなるのかな、飼い主も?
いや………うん、犬が飼い主に似たのか、飼い主が犬に似たのか……似てんだよな、そいつ。こう、反応っつーか、何つーか…………
飼い主が嬉しそうだと犬も喜んでるんだわ。逆に悲しそうだと犬もしょぼんとしちまうの。なんかでっかい犬が二匹いるみたいで……っと、これ、内緒な?
ん?お前さんも犬飼いたいのか?………ああ、癒しね。なんだよ、凹んでんの?
仕事?上手くいってねぇの?ガス抜きじゃねぇけど、話出来る奴は必要だよな。やっぱさ、ひとりで溜め込むのはよくねぇわ。ちゃんと相談しろよ?
ん?こんな弁当屋のおじさんに話しても、チンプンカンプンだぞ?それれでもいいなら構わねぇけど。
ハハッ、いいよ。前もさ、やっぱ仕事で失敗ばっかだって凹んだ奴、いたしな。う〜ん、失敗っつーより、ありゃ自信がないだけだと思うな。いや、根性あるし、意外と肚据わってると思うんだ。真面目だしな。
だからさ、真っ向から向かって行ったら、きっとそいつも意外といい線行くと思うんだよな。何の仕事かは解らねぇけど、ちゃんと反省してもっとよくありたいって思って前向ける奴は、伸びるさ。そういうもんだろ?
っし、出来上がり!お待たせさん。悪かったな、おじさんの長話に付き合わせて。
おう、今度はお前さんの話だな。たっぷり話に来いよ。またな!

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