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いつだって照らしていた月明かりがなければ、空も飛べない。夜は、まるで目が見えないのだから。
会いに行くつもりだったのに、嫌な夢を見て、どうしても会いたかったのに。
空をどれ程探してみ月が見えない。
技を使い、風を起こした。雲の切れ間、星明かりが映る。
それでも輝かしい月が見えない。
見えない事が、怖くて。
身体が微かに震えている。
羽を必死に動かして、空を舞った。
どこかで枝の折れる音が聞こえ、身体中あちらこちら痛みが生じた。
それでも空を駆けた。走る為の足は空程は自由ではないから、上空高く、障害物さえ消えるくらい高く、舞い上がる。
振り返り、見渡す。真っ暗な闇の中、空の灯火は無かった。
必死に目を眇め、小さな明かりを探す。地上にある火ではなく、上空にある微かな火を。
星明かりは微かに揺れながら瞳に写った。数を数え形を辿り、方向を確かめる。
生きる為に必要なその知恵は、生まれた時から与えられ、今は間違う事もなく探り当てられる。
見つけた道筋にホッと息を吐き、羽を動かした。月明かりを纏う事もない、闇に溶けた羽を。
遠く、微かに羽音が聞こえた。
オルガンを奏でていた指先が微かに鈍り、顔を顰める。
………今夜その音を聞く筈がないというのに、何故聞こえるのか。
闇夜に踊る羽が、どれ程危険かを知らぬ筈がないというのに、時折愚かなあの青年は、その心の幼さそのままに奔放に駆けてしまう時がある。
オルガンから離れ、少年は古木に向かった。
目印がなければ、あの愚かな鳥は辿り着く事も出来ない。ただ疲れ果てるまで定められた道筋を突き進むだけで、目的地すら通り越しても、あの目には映らないのだ。
それを知っているから、月明かりの微かな灯火を頼りにヨロヨロと飛ぶくせに。
「……本当に、馬鹿な鳥ですね…」
命取りという事くらい、解っているだろうに。
野生の中、生きているのだから。傷ひとつすら命の危機に結びつく事を、知っている筈なのに。
………否、知っているからこその、無謀か。
その間近過ぎる暗闇を、目を逸らす事も出来ない闇夜を、知っているからこそ、時折、激しく咆哮するようにあの羽は空を駆ける。
微かに息を吐き出し、己の中にもある虚から目を逸らして、少年は古木にかけられたランプに灯を点した。
まだ数少ないそのランプは、それでもこの暗闇の中では十分な明かりだ。
それに気付いた羽音が、一際鮮やかに跳ねて加速する。
………随分と、慌ただしい。まるで何か火急の事態でも起きたかのようだ。
微かに眉を顰め、玲瓏なその面に険しさを彩らせると、少年は空を仰ぐ。程なく、思った通りのシルエットが暗闇の中にぼやけて浮かんだ。
羽音は相変わらず忙しなく、それに伴って吐き出される青年の息も弾んで荒い。
相当無茶な飛び方をしたらしい。その身体は、ランプの微かな明かりに映るだけでもあちらこちらが傷だらけだ。
「デッ…ド?なあ、どこだ?」
小さく掛けられる声。もう間近だというのに、ランプから離れている少年の姿を青年は視認出来ない。闇の中、彼は何も見えないのだから当然だ。
「………いますよ、ここに。馬鹿な鳥を眺めています………」
「こっち、来て。……………見えないの、嫌なんだ」
答えた言葉にいつもなら返る軽口がない。
まるで幼い子供のような物言いに、少年は顔を顰めた。明らかに、どこかが変だ。
慎重に足音を消して、相手を取り違えていないかを確認しながら、少年は歩を進めた。
これが何らかのトラブルモンスターの罠だったら、目も当てられない。
けれど近づいても、その気配は知っているあの青年のもので、ただひたすらに幼い子供のように不安そうに周囲を見渡しては、泣きそうに唇を戦慄かせている迷い子なだけだった。
訳も解らず、顰めた眉を隠しもせずに不機嫌なまま少年は明かりの下に足を進めた。
そこに立てば、青年にも見える。それだけで十分だろうと身を晒すと、ほとんど同時というタイミングで地面を蹴る音がした。
青年は空を駆ける事が多い。地面に慣れていない足は、遅くはないが早くもない。
そうだというのに、まるで俊敏な野生の獣のような瞬発力で青年はその距離を縮めた。
同時に与えられたのは、抱擁という名も当て嵌らない力任せに縋る腕。
振り払おうかと強張らせた腕は、けれど震える青年の肌をして、力を抜いた。
………これはどこの子供だろうか。自分よりも強い筈のテンパのGC。けれど今なら、たった一撃で倒せそうな気がする程弱々しい。
「月……が」
「………なんですか…」
「月。………見えなくて、探したのに、無くて。お前に会おうって思ったのに。怖い夢、見て。だから探したのに、月と一緒に、お前もいない気がして。…………独りになったって、思って………探したんだ、ちゃんと怪我しないように、月を。でも無かったんだ。だから………」
熱に浮かされるもののように要領を得ない言葉を並べて、青年は震える腕で存在を確かめるように少年を抱き締める。
その愚かな仕草の小さく溜め息を吐き、少年はやはりこの鳥は馬鹿なのだと空を見上げた。
空は闇だけだ。時折気まぐれにある星も、それほど鮮やかには輝かない。
それを見上げ、羽すら消沈させて地に落ちる鳥の背を撫でた。
「………当たり前ですよ。今日は…新月ですから。月はありません…」
だから今夜はこの鳥は来ない筈だった。この国に訪問者は無い筈だった。
それなのに、こんな風に怯えて縋る存在が来るなど、予想外も甚だしい。
………それ、でも。
きっとこの青年は、恐ろしい夢を見たその時に、辿る道筋はこの国への空の道だけなのだ。
それを誇らしいなど、思いもしないけれど。
ただ、同じ思いで空を仰ぐ。
怖い夢、は。きっと同じ。
月すら消えたこの世界で、たった一人空を仰ぐ。
いつかは誰かに訪れる、そんな夜の夢。
抱き締めた背中は未だ震え、縋る腕が存在を求めても。
それを、与えても。
いつかは辿る道筋だ、と。
小さく小さく吐く息の中、月にもなれないと息が、そう、零していた。