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「ブックマンとラビはきっと生きている。きっと…大丈夫だ」
静かに、そっとクロウリーが呟いた。今は能力を発動していないのに、その声の力強さは戦闘時と同じ重みを持っている。
それに、チャオジーは微かに目を見開いた。…………つい、そっと、彼を伺い見てしまう。
微かに伏せられた目蓋。そこに映る、憧憬と思慕。………悲しみの中の、ひたむきな希望。
「それに………………」
クロウリーは呟きかけて、唇を閉ざした。噛み締めはしなかったそれは、けれど武器となる牙によって押さえ込まれた。
………それ以上は、発してはいけない言葉だ。そう教えているような、仕草。
落ちた沈黙の中、沈められていくたったひとりの名前。
それに………正直、驚いた。驚いた自分にこそ、驚いたのだ。
誰の眼差しにも浮かぶ悲嘆。苦しみと嘆き。縋るように希望を繋げている、微かな祈り。遣る瀬無いその揺れる空気に、こくりとチャオジーは息を飲んだ。
これか、と。やっと、解った。あの日、ブックマンJrが自分に告げたこと。その、意味。
思い、チャオジーは誰もが唇に乗せる事を躊躇い許されないと戒めている、その名を音に変えた。
「………アレン・ウォーカーですか……………………」
同時に、弾かれるようにクローリーが顔を上げこちらを見遣った。咎める気配はなく、ただ驚きの中に自分を映している。
それを見返しはしなかった。見返せる筈もなかった。
「もう…いいじゃないですか」
手を、握り締める。それとは逆の手のひらを額に添えて、瞳の色を陰に沈め隠した。
目を瞑る事は許されない。睨むようにじっと、床を見つめ、歪む眉の意味を悟られないように変える。
………ああ、あの日は、もっとずっと美しい青空が広がっていた筈だ。思い、この窮屈な医務室の中に押込まれ、過多の任務を請け負ってなお信じる事を止められない自分達の不自由さを恨みそうになる。
あの日、ノアの方舟から戻ってなお、あの白い少年への怨嗟が消えない自分の傍らに、寄り添ったラビを思い出す。
全てを見ていた彼は、当然ながら自分の憎悪も解っていた。勘づいて、それでも方舟の中では一切それを指摘もせずにただ自分とアレンの間、緩衝剤のように存在していた。
それが……近付いてきた。何かこれ見よがしな説教でもするつもりかと心を固くしてその存在を見上げれば、………彼は、笑っていた。
「………まだ、憎い?」
呟く声は平坦だった。逆光でその顔が覗けず、見上げた瞬間だけ映しとった静かな笑みだけが印象に残っている。
それを目を細めて見上げた。顰めた顔が、言葉より雄弁に彼に答えを与えた事だろう。
くすりと、笑った気がした。相変わらず、表情は読めなかった。
「お前は…AKUMAに大事なもの全て、奪われたって言っていたかな」
「……探索部隊もサポーターも、大体はそんなものっす」
「だな。のらくらあっちこっち行く俺らブックマン一族とは違う、確固たる信念があって教団にいる」
呟きが、微かに自嘲めいて響いた。……が、そこに感情が灯された気がしなかった。多分、普段聞いている彼の明るい響きとはあまりに異なる声だからだ。
一瞬、これは誰だろうと悩んだ。
確かにラビだと思った。が、逆光で顔が解らない。その声は彼のものだが、響きが違う。異なる人物だと言われれば、確かによく似た誰かかもしれない。そう思えた。
「お前は、エクソシストになったけど、…それを、望んでる?」
「これ、は……!アニエス様が、与えて下さったんだ!きっと、そうに決まってる!!」
「お前はいいなぁ、望んで、エクソシストになるんだ。大事な人の遺志を継いで、守る為に」
微かな笑みの気配とともに、風が吹きかける。影となった赤い筈の彼の髪が、黒く揺れて流れた。
「なら、お前が憎むその影は、何を背負っているか、知ってる?」
ふと、思いつく。……これは影絵だ。そのシルエットだけで物語られる、小さな劇。
声は柔らかく静かな抑揚。………決して感情を多く盛り込まない語り手の音。
「………愛した父親を殺す武器を背負って、そのせいで呪いも受けて。AKUMAを壊す事を生きる理由にしなくては、息を吸う事すら許せない」
それが朗々と読み上げる、悲惨な現実。凄惨な過去。………押しつぶすような、命の痛み。
いっそそれは、どこか架空の現実のような、薄っぺらな毒々しさ。
「いっそ人間なんて見捨ててAKUMAの為だけに生きればいいのに、それでも人の事も見捨てられず、結局呪いも抱き締めたまんま、どちらも守ると決めた馬鹿」
呟く音。彼に似合わない、標準語。
目を瞬かせる事も出来ずに、微かに影の中見える唇の動きを追った。
そうしなくては、それがここに、今自分の傍らにいると、認識出来なかった。
「…………報われない事も、理解されない事も解った上で、それでも選んで、それを悔やまない」
ぽつり、その瞬間、何故か音に湿り気を感じた。……まるで涙のような、音色。
掠れる事も震える事もない、感情の灯らないそれが、それでも何故か、寂しく泣き笑う声に、聞こえた。
「………なあ、お前の憎しみは、その覚悟よりも深く強いものなんかな、チャオジー」
そうして、やっと隣に座った彼は、笑った。日差しを浴びてその髪が明るい赤に変わった。
………微笑みと称すに値する、静かな笑みだった。彼には似合わない、どちらかといえばアレンにこそ似合う笑みだった。
おかしな符号と合致。それに眉を顰め、理解出来ないその情報の重さに、唇を嚼んで頭を抱えた。
苦しかった。憎たらしかった。恨みたかった。…………何かにそれを向ければ、自分は楽になれるから。
それでもそれを選ばず愛す事を選びひたむきに生きる命があると、この青年は言うのだ。
思い出し、胃の奥に沈むその記憶を、チャオジーは睨む眼差しの中で力に変えた。
ラビは笑った。アレンのように、静かに。それはきっと、わざとだ。
解るように自分に与えた、小さな、彼に許される本当に微かな、情報。
…………彼もまた、あの方舟の中、何かを迫られ、選択し、その答えを抱えて生きる覚悟を決めた筈だ。おそらくは、ロードとの戦いの時に。
そうしてそれはきっと……決して報われる事も、理解される事もないと解っている、過酷でそして何よりも孤独の道だ。
彼はブックマンだ。……その意味を、正確に知るものは誰もいない。
………だから解らない。解らないけれど、同じだと、きっと彼は言いたかったのだ。
アレンが選んだ道は過酷だ。決して、誰もその平等な慈しみを賞賛などしないだろう。当然だ。自分達は皆、絶対悪と対峙していると信じている。欠片程も、相手の救済など望んでいない。言うなれば、憎悪を糧に立ち向かっている。
それを悲しいと、きっとあの白い少年は言うのだろう。それをきっと、記録したいと、あの赤い青年は言うのだろう。
どちらもチグハグで滑稽な話だ。おそらくは互いすら、分かち合う事のない道だ。
それでも、彼らは同じだった。選んだものの対極加減も、その絶対的な孤立も。そして、いつかはその身に受けると解っていた筈の、糾弾と非難と罵倒さえも。
それでもきっと、あの二人は笑うだろう。微笑むのだろう。静かに……愛おしいと告げるように、穏やかに。
………牙を剥き刃を向ける自分達を、慈しむように。
「オレは……」
噛み締めそうな唇を奮い立たせ、チャオジーはその眼差しに力を込める。
震えるなと、己の手のひらを掴み、組み合わせた。………意志も決意も全ては自分自身から成り立っている。そしてそれを、きっと誰も侵す事は出来ない。
「次にウォーカーと会ったら、戦いますよ!!」
彼はそれを覚悟して離反した。それはきっと、同じ道を歩もうといつかは下されるものだと知っていたからだ。
………自分達では彼のその意思を尊び守れないと、知っていたからだ。
だから、彼が彼である為に、この教団から離れるのは仕方がない。そして、自分達が自分達の意志のもと、その行為を見逃せない事もまた、どうしようもない。
彼は彼の意志で選んだ。守る事を、慈しむ事を。………真実を、掴みとる事を。
あの日の現場で何が起きたかなど、誰も正確には知らない。だからいくらでも改竄出来た事とて、周知だ。
解っているから、与えられた事実と言う名の架空を口にし、飲み下す。
いつか、きっと自分はあの白い少年と対峙するだろう。
そうしたなら、どうしたって殴らなくては気が済まない。
拳が震えそうだ。唇が戦慄きそうだ。眼差しが揺れそうだ。
それでも全てを意志によって飲み込んで、今はいないその人を睨みつけた。
…………一度だって弁解も言い訳も釈明もしてくれない、その悲しい優しさを殴らなくては、気が済まないのだ。
小さく小さく胸の内、誰にも、自身にすら目隠しをして、呟いた。