[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
いつだって微笑んでいた人
1つずつきちんと話してくれた人
誤摩化さないで心を伝えてくれた人
厳しくて厳粛で けれど
なによりも許すことと受け入れることを知っていた人
目を瞑れば、その声が響く
優しく高く伸びやかに
導くように 響く音
畏敬を持って、あなたに
腹が立った、のだと思う。
回答はなかなか見つからないが、心情を問われればそう答えるしかない。この胸のざわめきも苛立ちも不快感も、それを示しているとしか思えないのだから。
顰められた眉のまま、鋭い眼差しを前方…やや下方に向ける。
そこには萎縮するようにして布団の中に眠る少年がいた。こちらを窺っているのは視線で解るし、声をかけたいと思っているのも、解る。
けれど、腹が立ったのだ。だから、その無音の願いを黙殺して、ただ睨んだ。
逡巡する視線。情けなく垂れ下がった眉と長い耳。布団の下、腕に力が入るのが見えた。筋肉の振動を読み取った子供は、その行動を妨げるように腕を伸ばした。
起き上がろうとした肩を押さえつけるように、子供の指先が触れる。他愛無く振りほどけそうな滑らかな動きだが、実際はそんな容易いものではなかった。その力強さは少年の身体的な衰えを差し引いても想像を絶する。
相手が怒っていると理解した少年の喉がひくりと鳴った気がした。が、実際は息を飲む余裕もなく、ただ肩に置かれた自身よりも小さな手のひらを見つめただけだった。
沈黙は、あまりに緻密に積み上げられた。微かな身動き一つであっさりと瓦解する危うさだ。
何を間違えたかと自身に問いかけてみても、回答は恐らく簡潔明瞭で、今現在布団に縛り付けられてしまっている要因である、この腹部の怪我が原因だろう。
意識をそこに向ければ、熱を持ち疼く抉れた傷の存在を感じた。
世界は平和を取り戻したけれど、中核たる針の塔を失った世界は変革を余儀なくされた。それはルールなどというものですらなく、世界の根源からの、変革。
地殻変動が起こり新大陸が浮上し、逆に土地が埋没する。動植物の新種、亜種、異種……本来であれば長い時間を経て数限りなく淘汰されて行き着くはずの変異が極端なほど短時間で起こっている。
元GCたちはいまもそれらの混乱のために奔走している。その中の、ほんの1つの事例の中で負った、怪我。
怪我の深さよりも出血量と積み重ねられた疲労の方が師匠の顔を顰めさせ、強制的な休養にこじつけられた。いまは自分のGCウオッチを奪ったまま、彼がその任に就いてしまっている。その上、監視役とでも言うかのように、普段であれば呼び寄せもしない覇者たる子供にまで告げ口をしたのだから、念の入れようが普段の比ではなかった。
おそらく、それは術の行使を拒んだせいだろうと、少年自身原因を理解していた。己の師が、どれだけ弟子を思い心砕いてくれているかも、理解していた。
それでも、首を振った。恐らく悲しませるだろうと解っていても、首を振ってしまった。
術を使えば、多少は回復する。けれど、出来ることなら術は使いたくないのが本音だ。優しい力の発露ではあるけれど、そうであるが故の心地よさに酔い痴れかねない。
自身の卑小さを知っている身に、それはあまりに甘美な毒だ。この身を盾に出来るという、退廃的な、毒。
守るならば生きなくてはいけないのに。守った対象が負い目も引け目も持つことなく前を向けるように、傷すら負うことなく、守りたいのに。
あまりに力ないこの身では、それすら難し過ぎて、時に誘惑が耳に吹き込まれてしまう、脆弱さ。
それを恥じて垂れた長い耳に触れたのは、微かな溜め息のような、子供の呼気。
「……………すみません…」
ぽろぽろと崩れ始めた沈黙の膜に沿うようにして小さく少年が音を零す。震えなかっただけでも精一杯の努力だった。
垂れた眉と同じく伏せられた目蓋に隠された赤い瞳が見上げることすら躊躇って天井すら視界に入れられない。
目を開ければ眠る自分の視界には子供の姿が映ってしまう。
その表情を見たなら、泣き出しそうだ。
………本来なら、彼には知られたくはなかった。自分の未熟さを突きつける恥辱以上に、その痛みをどれほど深く彼が受け止め傷つくか、自分にすら解らないから。
彼は強くて優しいから、自身が傷ついたことすら、誰にも悟らせないだろう。不敵な笑みの中に隠して、不遜な態度の中に溶かして。ただ自身だけがそれを噛み締め、己の力の及ばぬ範囲のことまで、心痛める。
それを愚かと嘲笑うことは容易いのだろうけれど、少なくとも自分は……自分たちは、その気質を尊いものだと知っている。
だから、知らせたくなかった。
いつだって、いっそ強がりでもいいから、彼に相応しい人間であるように振る舞いたかった。
「何故謝る」
少年の音に被さるように静かな音色が空気を震わせた。変わらない、涼やかな音。
それを間近で聞くことを許されていることが誇らしかった。彼の足元にすら辿り着かない身で、それでも隣にいることを認められたことが嬉しかった。
決して同一にはならない自分たちの道を、それでも認め、互いの道を進む廉潔さを教えてくれた。
彼は強くて、いつだって自分は教えられる立場で、助けられる身で。与えられてばかりだというのに。
………それでも、解る。解ってしまう。
「………悲しませたかったわけでも、隠したかったわけでも、ないんです。驚かせてすみませんでした」
覚悟を決めて目蓋を持ち上げ、視線を子供に向けた。相変わらず傍若無人なまでに遠慮のない真っ直ぐな眼差しが自分を映していた。
微かな瞠目と、息を飲む仕草。それが驚きを感じていることを少年に教えた。
微かに苦笑を唇に乗せて、押さえ込まれたままの肩に乗せられた小さな手のひらに、そっと指先を乗せた。無骨な自分の手のひらとは違う、まだ成長途中の柔らかさを残した皮膚が硬直したように動きを止めていた。
驚いて、いるのだろう。自分の言葉に。
…………それが正しいかどうかではなく、そう感じられたという、現実に。
彼は強くて潔くて、それ故に、自身に厳しく無頓着だ。己の感情の在り方も把握し切れない稚拙さを時に見せるのは、成長を急ぎ過ぎたが故の亀裂だろうか。……それはどこか、この世界に似た危うさだ。
だから、自分は彼を見つめていた。支えにすらならない貧弱な腕を、それでもせめて一瞬でも支えられるようにと、伸ばし続けていた。
だから解るようになったのか。あるいは、同一ではない悼みの記憶が重なり、気づかせるのか。
何故なんて問われても解らない。音とするにはあまりに希薄で微細で………おそらくは自覚すら乏しいもの。
それが、見えてしまう。感じてしまう。
「…………私は、私に出来ることをしたかったんです。爆殿に追いつくのではなく、隣に立つために」
離れることに怯え、恐れ、躊躇う自分に、違う道を歩むからこそ出来ることがあると、そう背を押してくれたのは彼だ。
強制でもなく、切り捨てるのでもなく。ただあるがままに進むことをこそ良しとする眼差しに、救われた思いがあった。自身を雁字搦めにしていた意識をあっさりと解き放ってくれたのは、紛れもなく彼だ。
だから、進みたかった。自分の道を。その過程には、確かに危険があり、時には命に関わることもあるだろう。
………愛しい人がいるかそれらの危難から離れたいと思わないとは、言えない。
言えないけれど、何よりも逃げたくないと、思う。自分が進むためには、畏れは必要でも怯えは不要だと思うから。
けれどそれが想い人を傷つけることも、本当は知っていた。
「だから、すみませんでした。それと………」
一瞬の惚けたあとの、睨む眼差しのままの子供に笑みを向け、力を込められて痛みを感じる肩に微かな苦笑を胸中に浮かべた。
畏れを知る人だから、子供は強いのだろう。そう、思いながら、彼が見られることを厭っているだろうその顔を隠すように、腕を伸ばす。頬を撫で、耳を通り過ぎ、後頭部に回された指先がそっと子供を自身に引き寄せた。
押さえつけられたままの肩では起き上がれず、結果、子供が少年の肩に顔を埋めるように倒れ込む。無意識なのだろう、傷に響かないようにひどくそれは緩やかで、強制ではなく重なるものだと教えてくれる。
嬉しくて浮かんだ笑みは、けれど肩が濡れゆく感触に切なく眉を寄せた。
「ありがとうございます」
小さく、子供にだけ聞こえる音で、万感の思いを込めて、告げる。
「………感謝は、おかしいだろう」
その意味を正しく感じ取っている子供は、しゃくり上げることを押さえつけて微かに震える音で言い返してくる。そんな負けん気の強さを愛でながら、少年は腕の中の子供に感謝の言葉をもう一度、捧げた。
頭を振る様を腕におさめて、少年は尊い命を恭しく抱き締める。
怯えてばかりですぐに盲目的に突き進む目を、糾してくれた。
不安ばかりで道すら見えなくしていた意識を、拓いてくれた。
前を歩み、振り返りもせず、その小さな背中を晒してくれる。
それに見合う自分であろうと、矮小な身でも上を目指し進む勇気を与えてくれる。
………どれほどの感謝を捧げても足りないほど、彼は自分を生かしてくれる。
それを思い、少年はどれほどの幸運と奇跡を積み重ねて今があるかということを、噛み締める。自分が生まれ、経験してきた全てに畏敬を持って捧げられるほどの、尽きることのない喜び。
「いいえ、あっていますよ」
独り言のように呟いて。
今一度、感謝の言葉を捧げよう。